聖書各巻緒論(10)
説 教 題:「罪も失敗も越えて」 井上義実師
聖書箇所:サムエル記第二7:8~17

説教題:「罪も失敗も越えて」聖書各巻緒論(10)

聖書箇所:サムエル記第二7:8~17

聖書各巻の緒論も今回で第10回となりました。
歴史書が続きますが、サムエル記第一の後のサムエル記第二です。

元々へブル語正典のサムエル記は1巻です。列王記、歴代誌も1巻でした。しかし、へブル語からギリシャ語に翻訳の際に、字数が増え標準的なスクロール(巻物)1巻では収めきれなくなったので2分割にされました。
ですから、便宜上の理由からの分割ですが、分割の際には内容上の区分が考えられて2冊にされています。

Ⅰ.基本的なことがら

著者:

サムエル記はサムエルが記したという伝承があります。
サムエルが最初の重要な主人公ですが、サムエルはサムエル記の記述の途中で召されます(サムエルⅠ25:1)。
最初の部分はサムエルが記したことは考えられますが、サムエルの召天以降はサムエル以後の人物となることが考えられます。

執筆年代:

年代はサムエルの誕生(B.C1060頃)からダビデの晩年(B.C970年頃)までの期間です。
執筆された年代は本書が記す著者同様に余りよく分らないと言えます。

大区分:

1-10章 サウルの死、ダビデ王国の確立
11-20章 バテ・シェバとの罪、王位継承の争い
21-24章 ダビデの晩年

Ⅱ.聖書箇所のメッセージ:「ダビデの施政」

少年の日からサウルに代わる王としてダビデに油は注がれていました。この時にダビデがサムエルと出会い、神の人サムエルの霊的な感化を受け、元々、持ち合わせていた素晴らしい素質がさらに伸ばされたことは確かなことです。

よこしまなサウルにより命をつけ狙われ逃亡者として逃げなければならなかった迫害の日々、周辺諸国との度重なる戦いによってダビデの即位は何時のことかと思える状態でした。
しかし、この多くの苦難と逆境はダビデを鍛え、ダビデを練り、相応しい者へと造り上げていったのです「主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」(へブル12:6)。ダビデは、多くの苦闘を経験しながら、ただ神様に従って行く、神様に信頼して行くことを学びとっていったのです。

サウルの死後も、イスラエル全土の王ではなく、ヘブロンでユダの王となりました。アブネルの反逆によって全国の王に迎えられていったのです。エルサレムを首都に定め、イスラエル王国の最盛期を迎えることになっていきます。

Ⅲ.基本的なメッセージ:「ダビデ以降のイスラエル」7:8~17

この聖書箇所で神様は預言者ナタンを通して語られました。
ダビデの王家が続いていくこと、何よりもメシア・救い主がダビデの裔として生まれることは驚くべきことです。

イエス様の誕生が聖霊による特別の、唯一のものであったとしても、神様はダビデの遠い子孫であるヨセフを選ばれました。ダビデは決して完全ではありません。欠けを少なからず表しています。バテ・シェバとの間の一連のできごとは、罪の実態そのものとして、罪が罪を生み出していく恐ろしさを私たちに教えています(11章以降)。

ダビデは多妻であったので、家庭は乱れていました。異母兄妹のアムノンとタマルの出来事が起こり(13章)、アブサロムの反逆につながっていきます。ダビデは最愛の息子アブサロムを謀反の罪で処断しなければならかったのです。その他にも実力はあっても奸計を図るヨアブを重用したこと、恨み事は徹底して晴らそうとしたこと、最後に神様の御心に反して人口調査を行ったこと等、負の評価は少なくはないのです。それでもなお、ダビデは神様に愛され、ダビデは神様を愛し、神様に従ったことによって、豊かな恵みを受けた傑出した器であったことは事実です。

私たちも誰も完全ではありません。欠けも、失敗も多くあります。それが裁きにつながっていくのであれば私たちは恐れしか持てなくなってしまいします。しかし、なおそれを越えて神様は働かれていることを私たちはダビデに見ることができます。また、ダビデも神様に真剣に、赤裸々に縋り付いていくものであったことが大きなことでした。

イスラエル王国はダビデ、その子ソロモンによって興隆しましたが、その後は、イスラエル全体の不信仰、自己中心のゆえに衰退の歴史をたどっていきます。国が失われる、バビロン捕囚を経ていきながらも、イスラエルの歴史には神様の愛、神様の導き、神様の守りは確かであることが示されていきます。