招詞  詩篇150:1~2
賛美   新24(聖479)
主の祈り  新826頁
使徒信条 新826頁
交読文  17(詩篇第46篇)892頁
賛美    新98(聖ナシ)
聖書  コロサイ3:5~17
説教  「愛による平和」 井上義実師
賛美    新414(新572)
頌栄  新63(聖383)
祝祷

説教題:「愛による平和」井上義実師

聖書箇所:コロサイ3:5~17

  本日は先週に続いて、本年度の教団の新約聖書からの年間聖句・コロサイ3:15「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」の聖書箇所より語ります。

Ⅰ.古い人

 聖書に「古い人」は3回しか出てきません(ローマ6:6「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。」、エペソ4:22「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、」、コロサイ3:9「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、」)。

この古い人とは、私たちが主の十字架のあがないによって救われ、主の聖さに導かれていく歩みの中で象徴的な言葉です。古い人とはパウロは別の言葉で「肉」と呼んでいます。

5節にある「淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、貪欲」が古い人の内側にある真実です。淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲は肉欲と言えます。これらは、十戒の第7戒の姦淫してはならないにつながっていきます。

貪欲はむさぼりと言い換えられます(テサロニケ第一2:5「貪り」と同じ語が使われています)。十戒の第10戒にある、隣人の妻、奴隷、牛、ろば、隣人のものを欲しがってはならないにつながっていきます。私たちは自分が持ってないものを欲します。

欲が心に大きくなり、最後には自分を滅ぼしてしまうのです(カインはアベルを妬み殺人を犯しました。アカンは物欲に囚われて奉納物を自分のものとして死ぬことになります。)。

貪欲は他人のものをねたみ、自分のものにしようとする自己中心から起ります。自分が欲するものに仕える偶像礼拝なのです。肉欲と貪欲に、人間の古いままの、ありのままの姿が集約されています。

Ⅱ.新しい人

 古い人を語りましたが、私たちは汚れた自分の心、制御しきれない自分の行いを変えられません。コロサイ2:12には「あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。」とあります。

イエス様のあがないの業によって、古い人は葬られ、肉の命は尽きているのです。古い人が死んでいるのなら、古い人は力は持ち得ないはずです。新しい人とは、キリストによって一度罪に死んだ者が、キリストの命を持つ者として、新しく神様の命に生きる者とされています。

10節「新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」とあります。人間は神様のかたちに従って造られました(創世記1:26)「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。』」。

神様の御心によって創造の冠として造られた人間は、肉欲、貪欲によって罪を犯し、神様のかたちは損なわれてしまいました。しかし、アダムからの時を経て、キリストによって回復の道が開かれました。キリストによって造り変えられた新しい人こそ、神様の御心に叶う姿なのです。

古い人は滅びにつながっていますが、新しい人は栄光の輝きにつながっています。この呼びかけは、全ての人への神様の召しなのです。

(11節)「ギリシャ人、ユダヤ人、割礼のあるなし、未開の人、スキタイ人、奴隷、自由人」

とあるように区別はありません。ここに出てくるスキタイ人とは聖書の中では1か所のみです。しかし、現代とつながっています。

 

Ⅲ.聖なる愛されている人

 キリストによって造り変えられた新しい人がどのような姿を持つのかを12節以下から見ます。(12節)「深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容」、(13節)「忍耐、赦し」、(14節)「愛」、(15節)「平和、感謝」、(16節)「教え、忠告、詩と賛美と霊の歌」、(17節)「主の名による行い」が述べられています。

これら一つ一つは、神様の愛、聖、義を表しています。一つ一つを詳しく述べる時間はありませんが、「聖めの実」そのものです。これらの全てが、変えられたその人自身を高めることができます。

また変えられたその人は、周囲に和らぎをもたらすものでもあります。美しいもの、香しいもの、実りあるものがそこにもたらされて行きます。神様は人を造り変えられ、その人の周囲も変えられていくのです。

(15節)「召されて一つのからだとなったのです。」

とあるように、変えられた私たちは、個々別々の存在ではなくキリストの体である教会で一つとされています。

古い人から新しい人へという救いと、聖霊の実を結んでいく聖めは個人の内になされていきますが、教会につながっている神様の御業です。神様によって救いに与り、聖なる実が結ばれて行くことは、神の民の集まりである教会の内で尊ばれ、喜ばれます。教会の働きは力をいただいて前進していくことができ、神様の栄光が表わされていくのです。

 救われた者が、聖なる愛されている者とさらに造り変えられていくなら、そこに神様の愛が香り、神様の御業が前進していきます。悪、闇の深い今の時代に神様にある平和と愛が表されていくのです。

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