出席連絡
司会:宇田川純一兄 奏楽:松下真由美姉
前 奏 奏 楽 者
開 会 唱 聖366 聖 歌 隊
招 詞 ヨハネ14:1~3 司 会 者
賛 美 新252(聖476) 一 同
主の祈り 新826頁 〃
祈 祷 唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交 読 文 45(詩篇146篇)915頁(新改訳) 〃
祈 祷 司 会 者
賛 美 新209(聖ナシ) 一 同
合 唱 「主があなたを祝し」 聖 歌 隊
聖 書 コリント第一15:50~58 丹羽嘉崇兄
説 教 「神の国に迎えられる」 井上義実師
祈 祷 一 同
賛 美 新233(聖229) 一 同
献 金
献 金 唱 聖378 〃
感 謝 当 番
頌 栄 新63(聖383) 一 同
祝 祷 牧 師
閉 会 唱 聖389 聖 歌 隊
後 奏 奏 楽 者
報 告 司 会 者
※パソコンでの追従無し
Webコイノニアで閲覧できない場合はYouTubeでご参加ください。
https://www.youtube.com/watch?v=Ix2H5GCV1Tc
※LIVEの場合は再生が始まらない場合があります。始まらない場合は上記のYouTubeでご参加ください。
※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します
説 教 題:「神の国に迎えられる」 井上義実師
聖書箇所:コリント第一15:50~58
本年の召天者記念礼拝を迎えました。先に天に帰られたお一人一人を覚えます。
信仰を持って歩まれた姿を思い起こしつつ、私たちの地上の歩みを顧みましょう。
Ⅰ.死に留まる空しさ
今日は死と命について話をします。私たちはこの世に生まれた以上は、その時は分かりませんが、死ぬことは定まっています。私たち日本人の多くは死ということに関して、諦めに近い感情を持っているのではないでしょうか。
平家物語の始めには「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。」とあります。方丈記の始めには「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」とあり、この2つは対にして語られることが多いです。これらの言葉が記されて800年が経ちましたが、なるほどとうなずく人は多いでしょう。世の中がどれほど大きく変化しても、日本人の感性や心象はあまり変わっていません。
人は死に対して抵抗できずに、無力なものです。ただ死を運命、宿命として受け止めるということであれば、私たちの人生はあまりに空しく感じます。今年、朝ドラでスポットが当たった、やなせたかし氏のアンパンマンのマーチにはこうあります。抜粋、「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ! なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ!」。意味のない人生、ただ死ぬだけの人生を送りたい人は誰もいません。やなせ氏の信仰は明らかではありませんが、やなせ氏の歌詞や物語はキリスト教の精神につながっています。
Ⅱ.死から命へと移る
それでは、聖書は死について、死の後のことについてどう語っているのでしょうか。コリント第一15章後半から見てみましょう。死について、死んだ後のことについて対照のように記されています。
40節「地上のからだ」から「天上のからだ」、42節「朽ちるもの」から「朽ちないもの」、43節「卑しいもの」から「栄光あるもの」、44節「血肉のからだ」から「御霊に属するからだ」、48節「土で造られた人」から「天に属する者」、54節「死ぬべきもの」から「死なないもの」に変えられると出てきます。私たちは、この地上にやがて失われる、この肉体を持って生まれてきました。私たちは死を迎えますが、死で終わるのではなく、天に属する栄光あるものに変えられていくと聖書ははっきりと語っています。
どのようにすれば、死で終わりではない、命あるものに変えられるのでしょうか。同じく、コリント第一15章22節には「アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。」とあります。
聖書は、最初の人アダムは罪を犯して、死ぬる者として出てきます。しかし、イエス様は全ての人の罪の身代わりとして十字架にかかられ、よみがえられて、永遠にいたる神様の命を現わしてくださいました。土から造られたアダムにつながっている私たちが、イエス様を救い主と信じて、罪が赦され、天に属する者とされます。私たちは死から命に、滅びから勝利に移されます。天の御国が開かれる素晴らしい歩みに変えられます。
Ⅲ.栄光を仰ぐ歩み
イエス様を救い主と信じて歩むならば、罪の縄目から自由にされ、死を恐れることなく、天を仰いで歩むことができます。私たちの生きる目標は天の御国、私たちの生きる目的は神様の栄光を表すことに変えられます。
私たちの生きる力はイエス様とつながることで与えられます。私たちの地上の歩みには日々の心配も、人生の苦難もあります。死んでよみがえり、永遠の命を表してくださったイエス様を信じるならば、普段の歩みにも勝利があります。
58節「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」とあります。私たちは神様の元にあって、平安をいただいて、精一杯に日々の働きに当たることができます。この日々の歩みが、永遠の栄光につながっていく歩みなのです。
第二次大戦のヨーロッパ戦線で連合軍はノルマンディー上陸作戦から形勢を逆転しました。Dデーで勝利しました。しかし、戦争の終結はドイツの陥落まで続きます。ベルリンが陥落して最終的な勝利となりました。VEデーに勝利したのです。私たちもイエス様を信じて既に勝利を得ていますが、日々の戦いは続きます。やがて天の御国が完成するVデーまで戦いはあっても、勝利は約束されています。私たちもイエス様を信じ、この方と共に歩みながら、永遠に至る勝利を目指して進み行きましょう。先に召された愛する方々は天の御国で待っておられるのです。
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