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 30分で学ぶ新約聖書 ⑫コロサイ人への手紙

聖書各巻緒論51・パウロ書簡7
説 教 題:「キリストの内に生きる」    井上義実師
聖書箇所:コロサイ2:1~10


 聖書を読みましょうというと、特別なことと受け止められるでしょうか。1回の字数・ページ数が多くなくても、少し間を置いたとしても聖書を読むことを普通にしていただきたいのです。
聖書に親しんでいただく助けとして、聖書各巻の1巻ずつの特長、内容の話をしてきました。知識的なことは最低限にしています。それよりも、霊的・信仰的な受け止めができるように語ってきました。教会の暦や教会の活動に従って語り、聖書各巻以外のテーマもありますので、本年度の第一回目は今日のコロサイ人への手紙です。

目次

Ⅰ.コロサイの信徒への愛


 コロサイは、小アジアの内陸部フルギヤ地方(現在はトルコ)の町になります。ラオデキア、ヒエラポリスといった町に近い場所になります。コロサイは古代には栄えましたが、パウロの時代には、全盛期を過ぎて既に衰えていたと言われます。
コロサイにイエス様の福音が伝わったのは、パウロの伝道旅行と関りがあります(使徒19:10、新約p.274)「これが二年続いたので、アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた。」。しかし、パウロはコロサイの町には行ったことは無いのです(1節)「私と直接顔を合わせたことがない人たち」とあります。
それでは、パウロとどういう関係があるのかと言うと、弟子のエパフラスがコロサイの出身であり、エパフラスが郷里伝道を行った結果なのです(1:7)「あなたがたは…エパフラスから福音を学びました。」。行ったことのない教会、会ったことのない信徒であってもパウロは話に聞き、教会と信徒のために熱心に祈っていました。この手紙を読むと、パウロがどれ程この教会を愛していたかが分かります。
長い引用になりますが(1:3~6)「私たちは、あなたがたのことを祈るときにいつも、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び成長しています。」とあります。コロサイ教会に仕えたパウロの牧会者としての姿を見ます。

Ⅱ.コロサイの信徒へ信仰の勧め


 この手紙は短い手紙ですが、霊的にその内容は濃い、豊かなものと言えます。まず、イエス様はどのような御方であるかが大きな主題になります。イエス様は救い主として、私たちの罪の贖い(1:14)「この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」となられました。その後の1:15以降にはイエス様が全てに先立たれ、万物の造り主であり、教会のかしらとなり、やがて全てを一つにされることが記されています。イエス様が歴史を超え、全てのものを超え、全てを支配しておられる超越した存在として記されているのです。
 さらに、イエス様は「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」(1:27)とあります。バックストン師のコロサイ人への手紙講解「神の奥義なるキリスト」、小島伊助師のコロサイ人への手紙講解「奥義なるキリスト」は、ここから標題が取られています。この手紙は長くはありませんが、その霊的な深さによって愛されています。
イエス様がどれほど偉大な御方であるかが記された後に、その御方が私たちの内に住まわれるというのです。モーセの時代の会見の幕屋に、ソロモンの時代のエルサレム神殿には神様の臨在が満ちていました。イエス様が私たちの内に住んでくださるとは自分の真実を見れば見るほど、知れば知るほどに信じがたいことです。どんなに信じがたくあったとしても、神様が約束された事実を私たちはただ感謝を持って受け止める者です。コリント人への手紙第一・第二は、3回も「神の宮」という表現が出て来ます(コリント第二6:16、新約p.362)「私たちは生ける神の宮なのです。」。やがてイエス様が来られる日まで、私たちはイエス様の内に守られるのです。

Ⅲ.コロサイの信徒へ知識の勧め


イエス様が私たちの内に住まわれることを信仰によって受け取りましょう。また同時に、(2~3節)「…神の奥義であるキリストを知るようになるためです。このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」と記されています。
当時の他の教会でもそうなのですが、コロサイ教会への警告は(4節)「まことしやかな議論」、(8節)「空しいだましごとの哲学」が入り込もうとしていることにありました。正統から外れる教えであり、(8節)「この世のもろもろの霊による」とあるように、神様に敵する霊的な力でもあったのです。神様から背けさせようとする間違った知識、この世の霊の力への勝利は(2節)「豊かな全き確信」、(9節)「神の満ち満ちたご性質」を、内に住んでくださるイエス様によっていただくことにあります。複雑に多様化した現在の私たちにとって、内に住んでくださるイエス様を崇めることはさらに必要なことなのです。

 私たちの周囲にこの世の悩み、心配事は多くあります。しかし、イエス様を内に持っているのならば、何も心配する必要はないのです。私たちは、永遠に至る輝きの中で守られているのです。

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