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【Webグループ(2021年4月24日現在)】
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~ 荻窪栄光教会・船橋栄光教会の皆様へ ~

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2026年4月12日礼拝ページ

司会:宇田川純一兄 奏楽:宮澤幸恵姉

前  奏        奏 楽 者
開 会 唱    聖366    聖 歌 隊
招  詞    コリント第一15:57・58    司 会 者
賛  美    新110(聖395)    一   同
主の祈り    新826頁    〃
祈 祷 唱    聖373(新ナシ)    〃
使徒信条    新826頁    〃
交 読 文    14(詩篇37)890頁(新改訳)    〃
祈  祷        司 会 者

賛  美    新438(聖530)    一   同
合  唱    「よみと死をうちて」    聖 歌 隊

聖  書    イザヤ43:16~21    沖 加奈姉
説  教    「新しい主の業」    井上義実師
      2026年度教団聖句Ⅰ
祈  祷        一   同

― C S 教 師 任 命 式 ―

賛  美    新458(聖514)    一   同
献  金
献 金 唱    聖378    〃
感  謝        当   番

頌  栄    新63(聖383)    一   同
祝  祷        牧   師
閉 会 唱    聖389    聖 歌 隊
後  奏        奏 楽 者
報  告        司 会 者

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https://www.youtube.com/watch?v=CKDkEb-ytio

※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します

説 教 題:「新しい主の業」井上義実師
聖書箇所:イザヤ43:16~21

先週はイースター・復活日の礼拝を迎えました。受洗された方、転入会された方々が起こされ、心から感謝をささげます。新年度となりました。2026年度に示されてきました教団聖句イザヤ43:20・21の箇所から語っていきます。日本のキリスト教会は厳しい中に置かれていますが、新しい業をなしてくださる神様に、大いに期待して歩みましょう。

Ⅰ.過去の恵み

16・17節には「海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設け、戦車と馬、強力な軍勢を引き出した主はこう言われる。『彼らはみな倒れて起き上がれず、灯芯のように消え失せる。』」とあります。出エジプト記14章は、迫って来るエジプトの王ファラオの軍勢からイスラエルの民が救われたできごとが出てきます。神様は海を2つに分けられ、イスラエルの民は乾いた海底を全員渡ることができました。しかし、エジプトのファラオの軍勢は、途中で海が元通りになって、波にのまれてしまい全滅しました。

これ程に神様の大きな奇跡、鮮やかな勝利は、旧約聖書でもなかなか見られません。イスラエルの民にとって、神様の偉大さを記念する恵みの体験となりました。イスラエルの歴史を通して、神様は度々大きな奇跡を起こされ、イスラエルの民の信仰は奇跡を基にしたものになりました。コリント第一1:22には「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は知恵を追求します。」とあります。イスラエルの民は目に見える奇跡がなければ信じないという、いびつな信仰になってしまいました。

私たちの信仰は何に拠って立っているのでしょうか。目に見える奇跡の経験がなかったとしても、私たち一人一人がイエス様の十字架のあがないを通して、信仰による救いをいただきました。私たちが神様の救いに与り、神様の愛に生かされているのが何よりの奇跡です。私は、神様に救われて当然と思う人はおられないでしょう。罪を赦していただき、滅びから命に移されたことは神様の大いなる愛の業なのです。奇跡を起こしてくださった神様への感謝が私たちの基盤にあります。

Ⅱ.現在の感謝

私たちが今いただいている救いの恵みを見ていきましょう。19・20節には「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。」とあります。

荒野、荒れ地には人は住めません。動物さえもまれです。水はなく、大地は乾ききり、命は乏しいです。神様はそこに道を設けられ、川を流れさせてくださるとあります。実は、この光景は私たちの心に当てはまります。皆さんは、資質も能力もすばらしいものをお持ちですが、神様と出会う以前の心、イエス様を信じる前のご自分の内面を考えてみましょう。荒野のように乾いていなかったでしょうか。命が宿る豊かさはあったでしょうか。荒野、荒れ地と言わなくとも、乾きや乏しさを感じて、誰もが、心と魂に潤いや、豊かさを求めていたのではないでしょうか。

イエス様は私たちに語られています「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)。また、「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(ヨハネ10:10)と言われました。イエス様は私たちに、いのちの水を豊かに与えてくださり、神様の命に満たしてくださいました。

イエス様の救いによって、私たちの内にあった荒野、荒れ地は潤され、豊かにされました。神様の祝福に与ることができ、神様の豊かさに生かされていることは感謝以外にはありません。

Ⅲ.将来の完成

神様の救いの恵みに与った私たちを、神様は「わたしの民」「わたしの選んだもの」(20節)、「わたしのためにわたしが形造ったこの民」(21節)と、特別なものとして認めてくださっています。「わたしの栄誉を宣べ伝える。」(21節)と、私たちを神様の栄光の証人であるとまで言われています。

神様の救いの恵みに与っている私たちにこのように神様は語りかけられておられます「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」(コリント第二4:16~18)。

私たち一人一人は、時に押しつぶされそうになりながら、苦闘を覚えて日々を過ごしています。それは、私たちを取り巻く乾いた荒野、命のない荒れ地と言えます。私たちにとって大きなプレッシャー、ストレスがありますが、それは、一時の軽い苦難ですと神様は語られています。神様は「大丈夫、気にしなくて良い」と気休めを言われるのではありません。私たちの痛みも苦しみも、神様にある永遠の視点から見るならば、やがていただく栄光の大きさ、豊かさに比べてはるかに小さいとおっしゃっています。

私たちの苦難、苦闘、患難には、やがて終わるという期限があります。しかし、神様の栄光、栄誉、輝きは永遠です。私たちが、荒野、荒れ地にあると感じる日々の戦いが軽くなるということではありません。しかし、どんな苦闘にあったとしても、神様は私たちに愛を注ぎ、恵みの内に保ってくださり、栄光の約束を果たしてくださることを受け止めて、揺るがないでいましょう。

過去の聖徒たちも皆、永遠の神様を見上げ、希望を抱いて歩み続けていきました。私たちも永遠につながっているものとして、新しいことを行うと言われる神様から、力と勇気をいただきながら共に歩みましょう。今の困難から、どんな神様の新しい業が起こされていくでしょうか。是非とも見させていただきたいと祈っています。

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