
出席連絡
司会:宮澤哲男兄 奏楽:長谷川綾子姉
前 奏 奏 楽 者
開 会 唱 聖366 聖 歌 隊
招 詞 イザヤ9:6~7 司 会 者
賛 美 新1(聖477) 一 同
主の祈り 新826頁 〃
祈 祷 唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交 読 文 50(イザヤ53章)919頁(新改訳) 〃
祈 祷 司 会 者
賛 美 新67(聖ナシ) 一 同
合 唱 「みむねにゆだねた主の母マリア」聖 歌 隊
聖 書 ルカ1:26~38 大垣謙人兄
説 教 「神様への全き信頼」 井上義実師
祈 祷 一 同
賛 美 新384(聖ナシ) 一 同
献 金
献 金 唱 聖378 〃
感 謝 当 番
頌 栄 新63(聖383) 一 同
祝 祷 牧 師
閉 会 唱 聖389 聖 歌 隊
後 奏 奏 楽 者
報 告 司 会 者
※パソコンでの追従無し
Webコイノニアで閲覧できない場合はYouTubeでご参加ください。
https://www.youtube.com/watch?v=aipVdBMx7OA
※LIVEの場合は再生が始まらない場合があります。始まらない場合は上記のYouTubeでご参加ください。
※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します
説 教 題:「神様への全き信頼」 井上義実師
聖書箇所:ルカによる福音書1:26~38
待降節も第2節を迎えました。マリアの元に御使いガブリエルがやって来る受胎告知の場面です。マリアへの受胎告知は、宗教画が主だった、中世の画家たちの最大の主題でした。中世の宗教画では、この場面は白百合、鳩、マリアの服は青いローブ、頭には光輪が象徴として描かれます。
マリアへの受胎告知は、イエス様の降誕の実際の出発点となりました。同時にイエス様の降誕の中心点となり、一つの頂点であり、決定的なできごととなりました。
Ⅰ.語りかけの重大さ
御使いガブリエルがナザレのうら若い、おとめマリアのもとにやってきて、神様のメッセージを伝えました。神様は、救い主をこの世に送るために、母親となる一人の女性を必要とされました。歴史上、たった一度限りの、全人類の命運がかかるこの重大な働きを、神様はどれほど慎重に進められたことでしょうか。
神様は、この大切な知らせのために、御使いガブリエルを遣わされました。聖書の中で、主の使いが神様のメッセージを伝えに行く場面は幾つもあります(アブラハム、ギデオン…)。同じルカ1章で御使いガブリエルは、祭司ザカリヤにバプテスマのヨハネの誕生を告げています。神様に仕える祭司であり、年も重ねており、人生経験の豊富なザカリヤでしたが、御使いからのメッセージを、すぐには信じられませんでした。祭司ザカリヤは、ヨハネが生まれるまでは口が利けなくなって、自身の信仰を顧みる時を過ごしました。
この時、マリアも心に戸惑いを覚え、何事かと考え込んでしまっています。マリアも不安や恐れを持ち、疑いが忍び込もうとしていたかも知れません。しかし、マリアには、それら全てを乗り越えて、神様の言葉を受け止めていく信仰がありました。マリアの信仰による受け答えを見るときに、救い主の母として神様が選ばれた、ただ一人の女性であったことが分かります。マリアのように私たちも、信仰によって神様の語りかけを聞きとり、応答できるものとなろうではありませんか。
Ⅱ.語りかけの不可思議さ
マリアはヨセフと婚約中でした。マリアは男性との関係はなかったので、子どもが生まれることは全くあり得ませんでした。35節に御使いは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」と言っています。口語訳聖書の創世記1:2は「神の霊が水のおもてをおおっていた」とあります。おとめマリアからの救い主の誕生と、天地創造と、どちらの働きも聖霊がおおい、神様の力が働いて創造の業がなされます。おとめマリアからのイエス様の誕生は、無から有を創られた天地創造と同じく神様の御業なのです。
しかし、マリアの現実はどうであったでしょうか。婚約中に父親の解らない子どもができたなら、当時のユダヤ社会では姦淫の罪と同じでした。石で打ち殺されてしまっても仕方がありません(申命記22章参照)。マリアにとって神様のメッセージに従うことが命がけの行為だったのです。また、神様からのメッセージですから、マリアはヨセフに伝えても良かったことでしょう。
しかし、このことをマリアは一言もヨセフに弁明しません。婚約者ヨセフには大きな誤解を受けることになってしまいます。マリアは、神様が始められたことは、神様が最善をなされる、神様が結果を見せてくださると信じていました。マリアの内には、黙して、従うという大きく、美しい信仰の姿勢を見ることができます。
Ⅲ.語りかけへの応答
マリアは38節「あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と従いました。マリアはここから、新しく信仰を持って踏み出していきます。実際は、身重でのベツレヘムへの旅も、手伝いもいない馬小屋での初めての御産も大変なことだったに違いありません。やがて、邪悪なヘロデから逃れて生まれたばかりのイエス様を連れてベツレヘムからエジプトへ逃げなければならなくなります。…
イエス様の母となったマリアはこれからも、次々に起こって来る荒波に身をもまれるような歩みだったことでしょう。神様の御心によって、神様に導かれた歩みでした。私たちも、時に、嵐の中と思える歩みがあります。私たちもマリアのように神様の御心に従い、歩んでいくならば、マリアが神様の真実、神様の恵みをいただいたように、神様の真実、神様の恵みを体験していきます。
待降節の毎にこの箇所を読みます。マリアは事の重大性も、身の危険も、周囲からの誤解も、誹謗中傷も十分に解っていました。即座に神様に従っていく信仰、従順、献身に、何時も心からの驚きを感じます。それは、マリアの日々の祈りと黙想の信仰の姿勢、神様との交わりが深いものであったからでしょう。
神様はマリアの信仰を良くご存知であったように、私たちの信仰のあり方も知っておられます。私たちの信仰は弱く、乏しくあっても、一人一人に神様のご期待があります。私たちもここから立ち上がって行きましょう。
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