出席連絡
前 奏 奏 楽 者
開 会 唱 聖366 聖 歌 隊
招 詞 ヨハネ16:33 司 会 者
賛 美 新102(聖ナシ) 一 同
主の祈り 新826頁 〃
祈 祷 唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交 読 文 42(詩篇130篇)912頁(新改訳) 〃
祈 祷 司 会 者
賛 美 新177(聖409) 一 同
合 唱 「私は聞いた」 聖 歌 隊
聖 書 申命記30:11~20 大垣謙人兄
説 教 「真実を選んで生きる」 井上義実師
祈 祷 一 同
賛 美 新342(聖592) 一 同
献 金
献 金 唱 聖378 〃
感 謝 当 番
頌 栄 新63(聖383) 一 同
祝 祷 牧 師
閉 会 唱 聖389 聖 歌 隊
後 奏 奏 楽 者
報 告 司 会 者
※パソコンでの追従無し
Webコイノニアで閲覧できない場合はYouTubeでご参加ください。
https://www.youtube.com/watch?v=Iilqd5HdFfE
※LIVEの場合は再生が始まらない場合があります。始まらない場合は上記のYouTubeでご参加ください。
※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します
説 教 題:「真実を選んで生きる」 井上義実師
聖書箇所:申命記30:11~20
祈祷会ではモーセの時代に当たります出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を1年間かけて開いてきました。御言を開いていても、礼拝とは語り口は違います。ゆっくり説明しながら話をしています。
週の半ばにある祈祷会は、私たちの1週間の歩みの中で、信仰、霊性の整えとして大事な集会です。木曜日のZOOM祈祷会、金曜日の祈祷会に出てくださって、共に祈り合う恵みに与りましょう。新聖歌190番の「静けき祈りの」原題はSweet hour of prayerです。皆さんの祈りの時間はSweet hourでしょうか。
さて、律法の書の最後に当たるのが申命記です。その申命記の本文の締めくくりが30章になります。長く語られてきました律法の結びの言葉になります。
Ⅰ.神様が願われたこと
神様はモーセを通して律法という形で、神様の戒め、決まり、定めを教えられました。律法は食べ物、病気、教育、仕事、人間関係といった生活から始まって、神様を崇め、神様を中心とする歩みについて生活全般に及んでいます。モーセの時代に神様から律法という、神様の規定が示されましたが、受け取る側の人間には、それぞれの対応があります。何を選ぶのかが問われます。
今日の聖書箇所の15節には、受け取る側の2つの道が示されています。「いのちと幸い」「死とわざわい」と出てきます。神様の言葉を聞いて、従うならば祝福が及び、従わなければのろいがあります。神様が願われているのは19節「あなたはいのちを選びなさい。」です。神様はいのちと幸いを選ぶことを強く語られています。
私たちが神様を愛している、神様を畏れ敬っているのであれば、神様の言葉に従おうというのは当たり前のことです。神様の言葉に従わないのは、神様を愛していない、神様を畏れ敬っていないことの表れです。神様に従わないのは、神様のことなど考えなくて良い、神様など何者でもない、自分がより優れた者だという思いが背後にあるからでしょう。
けれども、神様が愛なる御方であれば、どうしてのろいなど置かれるのでしょうかと思います。神様は、決して刑罰を与えようとされているのではありません。私たちが間違った思いを持たないように警告しておられます。神様は何よりも、神様を愛し、従い、神様を選ぶことによって祝福の内を歩むことを願っておられます。
Ⅱ.人の内にあるもの
神様は人が神様に従い、神様の教えに沿って生きるいのちの道を示されました。神様の言葉を聞いたイスラエルの人たちも、神様の言葉に従うという努力をしました。聖書は、この後のイスラエルの歴史を記しています。素晴らしい信仰の人もあり、表には出なくとも歴史を支えていった多くの人たちもありました。けれども、全体的に見れば、神様の願いから離れていく。正しいことが分かっていても従えない人間のもろさが明らかにされていきます。私たちの社会も、刑罰があっても背いてしまい、犯罪は無くなりません。
神様は私たちの全てをよくよくご存知です。神様は律法の教えの最後に当たるこの箇所でこう語られています。11節以下に「あなたにとって難しすぎるものではなく、」「遠くかけ離れたものでもない。」「天にあるわけではない」「海のかなたにあるわけではない」とあります。14節に「まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」ともあります。神様は、私たちに無理なこと、できないことを要求されてはいないのです。
イスラエルの人たちは神様の御言が家の門に記されていましたし、成人男子は御言そのものを身に付けていました(申命記6:7~9)。正しく、御言は近くにあり、口ずさみ、心に留めることができたのです。イスラエルの人たちは、それでも御言から離れていってしまいました。分かっていても祝福を選べない、人間の愚かさを感じます。
Ⅲ.御言の力によって
イスラエルの人たちは御言の近くを歩んでいましたが、それでも十分ではなかったということです。神様の時が満ちて、神様のことばであるイエス様(ヨハネ1:14)「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」がこの世に来られました。不思議なことに、御言はただの言葉ではなく、イエス様から私たちに受け渡される命あるものとなりました。
この命のことばは全ての人の心に届けられます。マタイ13:1~、マルコ4;1~、ルカ8:4~には、イエス様の種まきのたとえ話が出てきます。御言は全ての人の心に届けられます。ここに4つの土地が出てくるように、御言をその人がどのように受け止めるかが問われています。かたくなな心、困難に負けてしまう心、この世のことに塞がれてしまう心ではなく、柔らかな素直な心であれば信仰は成長していきます。
御言の働きを見ていきましょう。御言は私たちを新しく造り変えます(ペテロ第一1:23)「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」。
御言は私たちに喜びをもたらし、生きるものとします(テサロニケ第一1:6)「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」。
御言は神様の愛と恵みを確かなものとします(ヨハネ第一2:5)「しかし、だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。それによって、自分が神のうちにいることが分かります。」。
イスラエルの人たちは御言に近かったのですが、御言は人の外側にありました。今や私たちにイエス様によって、御言が人の内側に届けられ、命を与え、神様に生きる者としてくださいました。「みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」という律法の約束は、イエス様によって実現しました。私たちはその只中に生かされています。
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