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 30分で学ぶ新約聖書 ⑭テサロニケ人への手紙第二

聖書各巻緒論53・パウロ書簡9
説 教 題:「真理から離れない」       井上義実師
聖書箇所:テサロニケ第二2:7~17

 テサロニケ人への手紙第二は、聖書の順番では、パウロが教会宛てに記した手紙9通の最後に置かれています。実際はテサロニケ人への手紙第一、第二の2通が書かれた時期は、他のどの手紙よりも早いです。聖書に残された手紙が書き送られていた時代の、ごく早い時期に宛てられた手紙になります。

目次

Ⅰ.正しい理解によって

 先にはテサロニケ人への手紙第一を開きました。今のギリシャに当たるマケドニア地方のテサロニケ教会は、パウロの第二回伝道旅行の途中、わずか3週間の滞在で教会の基礎が生まれました。テサロニケの伝道は「力と聖霊と強い確信を伴って」(同手紙第一1:5)とありますし、「あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範」(同手紙第一1:7)とまで言われました。
神様による大きな働きの素晴らしさ、生み出された教会の理想の姿を見る思いがします。しかし、彼らの外には、主には同国人であるユダヤ人による厳しい迫害による戦いがありました。彼らの内には、イエス様の再臨と信仰者の関わりがうまく理解できておらず、誤解が生じていました。私たちには考えられませんが、テサロニケの信徒たちは、イエス様を信じていても、死ねば滅んでしまうと考えていたのです。
パウロは教会の外側からも、教会の内側からも戦いの中にある彼らを励ましました。信仰者の死を正しく理解して、永遠の希望を持つことを第一の手紙に記しました。第二の手紙はこの後、数か月程度、少なくとも1年以内に書かれたようです。パウロは第一の手紙を送っても、テサロニケ教会の様子が余り変わらないので、この第二の手紙を記しています。ですから、手紙の内容としては似通っている部分はあります。

Ⅱ.最終的な勝利によって


 テサロニケ教会はイエス様の再臨、終末を誤解している部分がありました。2章では、主は再臨されたという人たちがいたことさえ書かれています「主の日がすでに来たかのように」(2:2)。全くの間違いですが、パウロは主の再臨の前に起こることとして、まず「背教が起こり」(2:3)と言っています。迫害や禁教は、国家や他宗教などによる外からの圧力です。背教は、教会が内側から、正しい信仰や教理が揺さぶられることによって起こります。背教の次には「不法の者」(2:3、以下5回)が現れます。不法の者はダニエル書との関連が深いです(ダニエル7:25、8:9、11:36他)。不法の者はサタンそのものではありませんが、サタンに利用される道具となります。不法の者を特定の人物に当てはめようとする考えは古くからあります(旧約聖書と新約聖書の間の時代のアンティオコスⅣ世・エピファネス、ヘロデ大王、ローマ諸皇帝から現代に至る)。不法の者は人物ではなく、悪の力や働きとして終末まで暗躍します。ヨハネ黙示録で悪は完全に滅ぼされるように、不法の者はイエス様によって滅ぼされます。8節にはイエス様の「御口の息」である聖霊、また口から語られる神の言葉により、「来臨の輝き」によって闇は打ち消されるのです(黙示録1:12~16)「また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった」。(16節)
 背教が起こり、不法の者も悪の力を振るうが、決して勝利はしません。最終的な勝利は私たちの主イエス様のものであり、私たちもその勝利の凱旋の列に加わるのです。

Ⅲ.御言の導きによって


 読んでいただいた13節から最後の3章までは、この手紙の後半に当たります。テサロニケ教会を主の前に立ちうるものとして、整えられるようにという内容が記されています。
13節から17節は頌栄です。テサロニケ教会が困難を乗り越え、正しい教えに立ち、主の栄光を表すようにとの祈りになります。最後の3章は実際の生活の中で、怠惰に陥らないように戒めています。繰り返しですが、テサロニケ教会には間違った終末の教えが入り込んでいました。そのような間違った教えに立って、終わりが来るのなら身を入れて生活する必要はないと考える者たちがいたということです。実際は真逆になります。終末を迎えるからこそ、神様の愛をいただき、十字架を忍ばれたイエス様の忍耐を思い起こしつつ、真実に生きる者となるべきなのです。M.ルターが言ったと言われますが、「たとえ明日、世界が滅びるとも、今日私はリンゴの木を植える。」との言葉は私たちにもつながっています。
 
終わりが近づく時代にありますが、私たちは神様の愛、聖さを持ち続け、忍耐しつつ、希望を持って主の来臨を待ち望む者です。この真理に立って私たちは真実に生きましょう。

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