聖書各巻緒論52・パウロ書簡8
説 教 題:「主の日に向かって」 井上義実師
聖書箇所:テサロニケ第一5:12~24
初代教会の中でテサロニケ教会は余り目立たないだろうと思います。テサロニケは歴史のある町ですし、現在は、ギリシャでアテネに次ぐ2番目の町になります。マケドニア州の首府・中心地です。
テサロニケへの最初の伝道は使徒の働き17章に出てきます。パウロの第二回伝道旅行、パウロ一行のピリピ伝道とアテネ伝道の間になります。テサロニケではユダヤ人も、ギリシャ人もイエス様を信じる者が起こされました。しかしながら、伝統的・保守的なユダヤ人のねたみによって反対され、パウロ一行は他の町へと移らざるを得ませんでした。テサロニケ伝道はわずか3週間でしたが、後の教会の基礎はこの間に築かれました。
Ⅰ.テサロニケ教会の実り
パウロ一行の滞在はわずか3週間に過ぎませんでした。何よりも、神様はこの地を選ばれておられました「あなたがたが神に選ばれている」(1:4)。この地に特別な働きを進められていきまた「私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いた」(1:5)。
神様に立ち返り、イエス様を信じて、救いに与る者が起こされていきます「多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」(1:6)。人々の心と魂は、聖霊の光によって照らされ、みことばの力が魂の内に大いに働いていきました。
そして、テサロニケ教会の信徒の信仰は地方全体の模範になりました「その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。」(1:7)。何と素晴らしい働きが、マケドニアのテサロニケでなされたかと神様をほめたたえます。
Ⅱ.テサロニケ教会への心配り
テサロニケ教会は神様にあって、良い実を結んでいきましたが、全てがうまく運んでいったのではありません。
第一に、外部からの揺さぶりがありました。パウロが始めた最初の伝道でも「激しい苦闘のうちにも神の福音をあなたがたに語りました。」(2:2)とあります。パウロの苦闘とは、この地の偶像礼拝(1:9)、ユダヤ人による迫害(2:14)でした。以後も、これらによる迫害はテサロニケの信徒たちを苦しめていました「このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないように」(3:3)。パウロはテサロニケの教会を心配し、テモテを遣わし(3:2)、テサロニケ第一、第二の2通の手紙を書いて、問題に対応し、信徒を励ましました。
第二には、内部からは教えの点で揺らぎがありました。「眠っている人たちについては、…望みのない他の人々のように悲しまないためです。」(4:13)とあります。イエス様を信じていても死んでしまえばお終いだと考えていました。当時の教会の考え方にイエス様の再臨はすぐさまに起こるという考え方がありました。イエス様の再臨に生きて出会えなかった人たちには希望が無いという風に捉えられていました。4章はこの言葉の後に、イエス様の再臨と携挙のことが出てきます。再臨の際に、先に召されている人たちの復活があり、生き残って地上にあっても主のかたちに変えられる栄化に与ります。空中に引き上げられて、先の者も後の者も一つになります。イエス様を信じた全ての人たちの究極の救いがなされます。そこに大いなる希望があります。私たちは信仰を持ってこのことを受け止め、心から待ち望んでいます。
Ⅲ.テサロニケ教会への勧め
4章後半から5章へと終末の話が続いていきます。私たちが再臨を意識すれば、慎み深く、主の光に照らされる歩みとなります「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのです。しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。」(5:5~8)。
今日開かれた5章後半の箇所は道徳的な教えが記されています。それは、終末という実際のできごとに備えて、観念的な教えではなく、実践的な生活が必要だからです。指導者を神様に立てられている器として扱うこと、怠惰・小心・弱い者を顧み励ますこと、悪ではなく善を心がけること、喜び・祈り・感謝を大切にすることが述べられています(12~18節)。
単なる道徳の教えを超えているのは、「キリスト・イエスにあって」私たちの内に住んでくださる内住のキリストにより、心の内に働かれる「御霊」により、御言を説き明かす「預言」が私たちを正しく導くことによります。この世に倫理道徳の教えはたくさんありますが、教えを超えて、教えに従っていく力を神様は備えてくださっています。
テサロニケの町は栄えた町でしたから、ギリシャを中心とした異文化の中にありました。東西の宗教が集まって来ており、さまざまな異教が存在していました。これらと戦いつつ、信仰の模範となったテサロニケ教会を見て来ました。キリスト教とは異文化である日本、さまざまな異教が存在する日本、世俗的な考え方が支配するこの時代、私たちにも戦いがあります。テサロニケ教会の姿が、私たちが目指す姿でもあります。やがて来る主の日を待ち望みながら、真実に歩む信仰の基本を教えられます。
