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~ 荻窪栄光教会・船橋栄光教会の皆様へ ~

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2026年2月15日礼拝ページ

司会:藤村 侑兄 奏楽:尾崎貴幸兄

前  奏                   奏 楽 者
開 会 唱    聖366           聖 歌 隊
招  詞    詩篇116:8~9      司 会 者
賛  美    新209(聖ナシ)       一   同
主の祈り    新826頁             〃
祈 祷 唱    聖373(新ナシ)          〃
使徒信条    新826頁             〃
交 読 文    8(詩篇第24篇)885頁(新改訳)     〃
祈  祷                    司 会 者

賛  美    新233(聖229)        一   同
合  唱    「とびらの外に」       聖 歌 隊

証  し                   佐藤幸一兄
聖  書    マタイ21:28~32    松下真由美姉
説  教    「心を入れ替えるなら」    井上義実師
祈  祷                   一   同

賛  美    新358(聖451)        一   同
献  金
献 金 唱    聖378              〃
感  謝                    当   番

頌  栄    新63(聖383)         一   同
祝  祷                    牧   師
閉 会 唱    聖389            聖 歌 隊
後  奏                    奏 楽 者
報  告                    司 会 者

Webコイノニアで閲覧できない場合はYouTubeでご参加ください。

https://www.youtube.com/watch?v=6jtzsFoZ2OI

※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します

説 教 題:「心を入れ替えるなら」  井上義実師
聖書箇所:マタイ21:28~32

 イタリアでの冬のオリンピックも半分が終わりました。私は改めて新鮮な思いを持っています。10代20代の若いアスリートたちが一生懸命に、真剣にですが、のびのびとプレーして、結果も残しています。昭和のオリンピック選手は重圧に押しつぶされ、笑顔もこわばっていました。

昭和の根性、気合いの精神論は、時代がそうでしたが遠くになりました。どの世界にあっても、無論、教会も若い人たちが生き生きとしているのが良いことです。重圧や押し付けではなく、必要なものは伝えていきますが、若い人たちが新しい時代を切り拓いていくのを支援し、見守っていきたいのです。

Ⅰ.ぶどう園の例え

今日の箇所は、イエス様がぶどう園の例えから神様を信じ従うことを、祭司長たちや民の長老たち、指導者に語られています。ブドウ園の主人に2人の息子がいました。父親は神様ですし、息子は私たちのことです。父親は兄息子に「今日、ぶどう園で働いてくれ。」と言いました。兄息子は「行きたくありません。」と言いましたが、思い直して働きに行きました。父親は弟息子にも同じ頼みをしました。弟息子は「行きます。」と言いましたが、結局は行きませんでした。

良い答えをしたのは弟息子の方です。しかし、良い行いをしたのは兄息子の方です。この後で、イエス様は良い答えをしましたが何もしなかった弟息子は、祭司長や長老たちであると言われました。そして、最初は断わりましたが、思い直して働いた兄息子は、取税人たちや遊女たちだと言われました。

イエス様は、初めはどうあれ、思い直して信じることこそが大事なことだと言われています。祭司長や長老たちは言葉だけ、見かけだけが立派に過ぎないことを指摘されました。しかし、ローマ帝国の支配の手先として嫌われ者の取税人も、お金のために身を売る遊女であっても、心を入れ替え、神様に寄りすがるならば神様は受け止めてくださることを語られました。その人が語っている言葉や見かけだけでの判断ではなく、神様は心をご覧になって判断されます。

 Ⅱ.人間の心の本質

イエス様は心を問われましたが、そもそも聖書は人間の心をどのように記しているのでしょうか。聖書の初めにある創世記、その5章の終わりにノアが出てきます。ノアの箱舟、ノアの洪水は聞かれたことがあるのではないでしょうか。ノアは最初の人アダムから数えて10代目になります。人類の歴史はまだ始まったばかりです。

ノアの時代を聖書は詳しく言っています「主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」(創世記6:5~6)。

神様はアダムとエバを創られ、共におられましたが、彼らは禁じられた木の実を食べてしまいます。その罪によって、アダムとエバはエデンの園から追放されます。アダムの記憶がまだ薄れない内から人間は、自己中心、欲望のままに生きて、神様の御心を踏みにじるようになってしまいました。

人間の悪、罪が初代のアダムから始まったように、人の心は低い方へと流れていきます。聖書の歴史は、ノアから後のアブラハムから始まるイスラエルの歴史です。聖書には、人間の信仰も尊さも描かれていますが、圧倒的に不信仰や卑しさ、汚れの方が出てきます。

Ⅲ.神様の愛の導き

   元々、汚れた心を持っている私たちがどのようにして悪や罪から離れることができるのでしょう。私たちは無理、無理、できませんと言わざるを得ません。

   今日の聖書箇所の後に2つの例え話がつながっています。イエス様は21:28から22:14まで一つながりで3つの例え話をされました。最初のぶどう園の話、2番目のぶどう園の話、22:1からは王子の結婚披露宴の例え話です。3番目の例え話は神様が私たちに用意されている天の御国、天国の話です。王は神様、王子はイエス様、招かれるのは私たちです。

王は王子の結婚披露宴のために招待状を出しました。所が、招待客はそれぞれ自分の都合で来ません。その上に、何と王の使いを侮辱して殺してしまいます。王は怒ってこの人たちを滅ぼしまた。その後、大通りで皆に声をかけ披露宴に招きました。多くの人が集まった中に礼服を着ていない人が一人いました。この人は外に投げ出されてしまいます。急に披露宴に招かれて、用意ができなかったと私たちは思います。この当時、王のような身分の人が主催する披露宴は、礼服が用意されていたと言います。この人は汚れた普段着を脱ぎ捨てて用意された礼服を着るだけで良かったのに、それをしませんでした。

このことから最初の話に戻ります。父親のぶどう園に心を思い直して働きに行った弟息子を父親は喜んだでしょう。言葉ではなく見かけだけでもなく神様は心を見られています。心が大切でも、私たちは心の悪や汚れをきよめ、自分を正すことはできません。

けれども、王は礼服を用意して、誰でも披露宴に招いておられるように、神様は私たちに既にきれいな素晴らしい礼服を用意して招いておられます。神様は私たちの心をきよくしてくださって、天の御国に招いてくださっています。私たちの心にあるどんな罪も汚れもイエス様の十字架の血潮によってきよめられます。

この世のものはやがて汚れ、古び、破れてしまいます。神様によって私たちの心は新しくされ続け、王子の婚宴である、天の御国に入れていただけます。今、すでにあなたのために新しい服は用意されています。今日、古い服は脱ぎ捨てて、新しい服を身に着けましょう。あなたの日々は天を目指した輝いたものとなります。

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