聖書全巻通読第62巻
説 教 題:「神様の愛にとどまる」 井上義実師
聖書箇所:ヨハネ第一4:13~18
ヨハネの手紙第一の全体を読みながら、開かれてきました4:13~18について語っていきましょう。イエス様の使徒であったヨハネは、12人の弟子の中で、最も若くイエス様に召し出され、最も長く地上で神様に仕えました。ヨハネの福音書、ヨハネの手紙第一・第二・第三の3通の書簡、ヨハネの黙示録を記しています。新約聖書の中で、パウロに次いで文章を残しました。ヨハネが用いた言葉、考え、思想は一貫しています。「ことば」「いのち」「光」「愛」は各書巻に表されていますし、これらの言葉にヨハネは独自の思いや考えを表しました。
ヨハネはイエス様に特に愛された弟子と言われます。イエス様を親しく「聞いた」「見た」「手でさわった」(ヨハネ第一1:1)と言っているのも納得できます。イエス様はヨハネを造り変え、ヨハネを揺り動かし、ヨハネを生かして用いられたことは、ヨハネの各書から明らかです。ヨハネはこの手紙を、彼が奉仕していたエペソ教会から、周囲のアジア諸州(現在のトルコ、小アジア)の教会に広く読まれることを願って書き送りました。ヨハネはこの手紙の中で、特に3つのことがらを願っていることが分かります。
Ⅰ.喜びに満ちる
「これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。」(1:4)と記されています。この言葉の前後には、信仰者と、父なる神様そしてイエス様との交わりが書かれています。父なる神様そしてイエス様との交わりによって、喜びが満ちあふれます。この世の喜びは必要です。楽しんでいただければ良いです。この世の喜びは、喜べないことが起こると直ぐにしぼんでしまいます。神様にある喜びは何によっても奪われませんし、消すことはできません。喜びは御霊の実の一つです「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22・23)。
Ⅱ.罪を犯さない
「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。」(2:1)と記されています。罪が神様との交わりを壊し、神様にある喜びを消し去ります。どんな罪があったとしても、イエス様の十字架の死が「世全体の罪のための宥めのささげ物です。」(2:2)とあります。イエス様の十字架の贖いの死によって赦されない罪はありません。私たちの罪を赦される神様は、赦された私たちが罪を犯さないように守ってくださる御方です。
Ⅲ.永遠のいのちに生きる
「神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。」(5:13)と記しています。「イエスがキリスト(神様に任命された救い主)であると信じる者はみな、神から生まれたのです。」(5:1)とあります。私たちは、それぞれの母から肉体の命を持って生まれてきました。私たちは肉体の命を持っていますが、信仰によって神様から、霊による永遠の命を持って新しく生まれることができます(ヨハネ3章のニコデモとの対話)。この手紙が宛てられた信徒たちは、霊的な命、神様からの永遠の命が分かっていなかったのです。私たちも自分たちの内に、信仰によって、すでに永遠の命があることを真実に受け止めているでしょうか。死は心理的には怖いという感覚を持つでしょうが、神様にあれば恐れる必要はありません。死は節目に過ぎず、永遠が現わされていくゲートウエイです。神様からの恵みにどれほど感謝し、永遠の希望に生きているかが問われます。
最後に本日の聖書箇所を開きます(4:13~18)。この短い6節の間に「とどまる」という言葉が7回出てきます。この「とどまる」はヨハネ15章のぶどうの木のたとえに使われています「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(ヨハネ15:5)。
