
出席連絡
司会:宇田川純一兄 奏楽:藤村陽子姉
前 奏 奏 楽 者
開 会 唱 聖366 聖 歌 隊
招 詞 ホセア10:12 司 会 者
賛 美 新297(聖ナシ) 一 同
主の祈り 新826頁 〃
祈 祷 唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交 読 文 5(詩篇第19篇)882頁(新改訳) 〃
祈 祷 司 会 者
賛 美 新342(聖592) 一 同
合 唱 「恵みの光は」 聖 歌 隊
聖 書 ヨハネ第一4:13~18 藤本 薫姉
説 教 「神様の愛にとどまる」 井上義実師
聖書全巻通読62巻
祈 祷 一 同
賛 美 新392(聖578) 一 同
献 金
献 金 唱 聖378 〃
感 謝 当 番
頌 栄 新63(聖383) 一 同
祝 祷 牧 師
閉 会 唱 聖389 聖 歌 隊
後 奏 奏 楽 者
報 告 司 会 者
※パソコンでの追従無し
Webコイノニアで閲覧できない場合はYouTubeでご参加ください。
https://www.youtube.com/watch?v=SOC86YZntRA
※LIVEの場合は再生が始まらない場合があります。始まらない場合は上記のYouTubeでご参加ください。
※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します
説 教 題:「神様の愛にとどまる」 井上義実師
聖書箇所:ヨハネ第一4:13~18
ヨハネの手紙第一の全体を読みながら、開かれてきました4:13~18について語っていきましょう。イエス様の使徒であったヨハネは、12人の弟子の中で、最も若くイエス様に召し出され、最も長く地上で神様に仕えました。ヨハネの福音書、ヨハネの手紙第一・第二・第三の3通の書簡、ヨハネの黙示録を記しています。新約聖書の中で、パウロに次いで文章を残しました。ヨハネが用いた言葉、考え、思想は一貫しています。「ことば」「いのち」「光」「愛」は各書巻に表されていますし、これらの言葉にヨハネは独自の思いや考えを表しました。
ヨハネはイエス様に特に愛された弟子と言われます。イエス様を親しく「聞いた」「見た」「手でさわった」(ヨハネ第一1:1)と言っているのも納得できます。イエス様はヨハネを造り変え、ヨハネを揺り動かし、ヨハネを生かして用いられたことは、ヨハネの各書から明らかです。ヨハネはこの手紙を、彼が奉仕していたエペソ教会から、周囲のアジア諸州(現在のトルコ、小アジア)の教会に広く読まれることを願って書き送りました。ヨハネはこの手紙の中で、特に3つのことがらを願っていることが分かります。
Ⅰ.喜びに満ちる
「これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。」(1:4)と記されています。この言葉の前後には、信仰者と、父なる神様そしてイエス様との交わりが書かれています。父なる神様そしてイエス様との交わりによって、喜びが満ちあふれます。この世の喜びは必要です。楽しんでいただければ良いです。この世の喜びは、喜べないことが起こると直ぐにしぼんでしまいます。神様にある喜びは何によっても奪われませんし、消すことはできません。喜びは御霊の実の一つです「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22・23)。
Ⅱ.罪を犯さない
「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。」(2:1)と記されています。罪が神様との交わりを壊し、神様にある喜びを消し去ります。どんな罪があったとしても、イエス様の十字架の死が「世全体の罪のための宥めのささげ物です。」(2:2)とあります。イエス様の十字架の贖いの死によって赦されない罪はありません。私たちの罪を赦される神様は、赦された私たちが罪を犯さないように守ってくださる御方です。
Ⅲ.永遠のいのちに生きる
「神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。」(5:13)と記しています。「イエスがキリスト(神様に任命された救い主)であると信じる者はみな、神から生まれたのです。」(5:1)とあります。
私たちは、それぞれの母から肉体の命を持って生まれてきました。私たちは肉体の命を持っていますが、信仰によって神様から、霊による永遠の命を持って新しく生まれることができます(ヨハネ3章のニコデモとの対話)。この手紙が宛てられた信徒たちは、霊的な命、神様からの永遠の命が分かっていなかったのです。私たちも自分たちの内に、信仰によって、すでに永遠の命があることを真実に受け止めているでしょうか。死は心理的には怖いという感覚を持つでしょうが、神様にあれば恐れる必要はありません。死は節目に過ぎず、永遠が現わされていくゲートウエイです。神様からの恵みにどれほど感謝し、永遠の希望に生きているかが問われます。
最後に本日の聖書箇所を開きます(4:13~18)。この短い6節の間に「とどまる」という言葉が7回出てきます。この「とどまる」はヨハネ15章のぶどうの木のたとえに使われています「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(ヨハネ15:5)。
とどまるは、口語訳聖書ではつながると訳されていました。イエス様を救い主と信じる信仰によって、神様はその人とつながり、その人は神様とつながることができます。また、その人は、神様の愛のうちにとどまっており、神様の愛がその人の内に全うされます。神様の愛は勝利につながっていきます「神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(5:4・5)。イエス様とつながっていれば、悪からも、罪からも、死からも勝利することができます。
神様とつながり、とどまることが第一に必要です。神様との交わりが確かであるなら、私たちの現実の生活に神様の愛は表されていきます。私たちは神様にある勝利を喜ぶ者となることができます。
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