出席連絡
司会:丹羽琢也兄 奏楽:尾崎貴幸兄
前 奏 奏 楽 者
開 会 唱 聖366 聖 歌 隊
招 詞 ピリピ2:6~11 司 会 者
賛 美 新4(聖ナシ) 一 同
主の祈り 新826頁 〃
祈 祷 唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交 読 文 49(イザヤ40章)918頁(新改訳) 〃
祈 祷 司 会 者
賛 美 新69(聖ナシ) 一 同
合 唱 「久しく待ちにし」 聖 歌 隊
証 詞 藤村陽子姉
聖 書 イザヤ53:5~6 藤本 薫姉
説 教 「受難のしもべ」 井上義実師
祈 祷 一 同
― 聖 餐 式 ―
賛 美 新89(聖392) 一 同
献 金
献 金 唱 聖378 〃
感 謝 当 番
頌 栄 新63(聖383) 一 同
祝 祷 牧 師
閉 会 唱 聖389 聖 歌 隊
後 奏 奏 楽 者
報 告 司 会 者
※パソコンでの追従無し
Webコイノニアで閲覧できない場合はYouTubeでご参加ください。
https://www.youtube.com/watch?v=iID0N_CXSek
※LIVEの場合は再生が始まらない場合があります。始まらない場合は上記のYouTubeでご参加ください。
※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します
説 教 題:「受難のしもべ」 井上義実師
聖書箇所:イザヤ53:5~6
本年のメサイア公演は次週12月13日(土)に行われます。開催まで後、2週間ほどとなりました。先ほどお話がありましたように、今回のプログラムには、第25番合唱「われらは癒えたり」・第26番合唱「迷える羊となり果て」が加わります。
Ⅰ.待ち望まれたメシア
メサイア25番合唱はイザヤ53章5節、26番合唱はイザヤ53章6節からの引用です。イザヤ書は、預言書の中で特別な預言書と言えます。特別であるという理由は幾つもありますが、イザヤ書ではメシア預言が多く語られています。メシア(メサイアはメシアの英語読み)とは、油注がれた者という意味です。旧約聖書では祭司、王、預言者等には、頭に油を注がれて任命を受けます。旧約聖書のメシア預言とは、やがて神様から任命を受けられた救い主がお出でになるという神様からの使信です。
旧約聖書の時代には、国が揺れ動き、民衆が苦しい生活を強いられることも多く、メシア・救い主を待ち望む思いには、私たちを助けてほしい、何とかしてほしいという、現実の苦しみから解放されたいという願いが強くありました。
Ⅱ.苦難を受けるメシア
前の章のイザヤ52章13節から53章全体は、「苦難のしもべの歌」と呼ばれる箇所です。この苦難のしもべこそが、メシア・救い主を指しています。メシア預言としては、53章4~6節が中心になります。苦難のしもべは4節「病を負い」「痛みを担った」、5節「背きのために刺され」「咎のために砕かれた」と記されています。これらから、苦難のしもべが受ける苦しみは、しもべ自身の悪や不義の報いでは決してなく、私たちの悪や不義によって、身代わりとして懲らしめを受けることなのです。このことは、この世にお出でくださったイエス様の御姿そのものです。
イエス様はどんな病気の人にも近づいて癒され、心弱っている者を強め、心痛む者を励まされました。しかし、その最後は、妬みや偏見によって、何の罪もないのに捕らえられ、むち打たれ、辱めを受けられました。極刑である恐ろしい十字架に架けられ、ローマ兵の槍に刺され、粉々に砕かれるような死を経験されたのです。
ドイツに留学していた友人の牧師から聞いた話です。フランス・アルザス地方のコルマールという町の美術館に16世紀ドイツの画家グリューネバルトの代表作とされるイーゼンハイム祭壇画があり、見に行かれたそうです。三面にわたる大作ですが、第一面はイエス様の十字架の場面です。暗い背景が描かれ、死そのもののむごたらしい姿です。何と十字架のイエス様は、中世ヨーロッパを脅かしたペストに覆われているのです。この絵は、イエス様がどんな病、どんな痛み、苦しみをも身に負われる姿を表しています。この絵を見た人は、そこを立ち去ることができず、不思議な癒しに包まれると言います。… イエス様への懲らしめが、私たちに平安をもたらす(5節)のです。
イエス様が十字架に架かって死なれた、贖いの業によって、神様は私たちとの間に和解と平安を与えてくださいます(ローマ5:1)「 こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」。さらに、(ローマ5:10,11)「敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。」とあります。
Ⅲ.栄光を受けられたメシア
イエス様は私たちの悪や不義の身代わりとして、十字架の苦しみと死を味わわれ、救い主としての働きを全うしてくださいました。それは、この世の救い主として神様の栄光を表すためでした(ヨハネ17:1~3)「これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。『父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。』」
神様はご自身の栄光は、私たちの救いにあると言われています。私たちは、ここまで私たちの救いを備えてくださった神様の無限の愛に感謝し、信じて受け止める以外に、何も神様に報いうる術はありません。私たち一人一人が、感謝をもって救い主イエス様を受け取ることが、神様への最大の報いになります。
しかも、私たちは神様と出会う前、イエス様を救い主と信じる前は、6節「羊のようにさまよい」「自分勝手な道に向かって行った。」ものでした。しかし、イエス様を救い主と信じることによって、神様は、私たちを御国への歩みに、確かに導いてくださるのです。
イエス様は十字架の死の3日後によみがえられ、やがて天に帰られました。その後に、弟子たちに約束された聖霊が降り、教会の働きが始まりました。使徒の働きの8章には、ピリポが神様に示されて、ガザに下る道で、エルサレム神殿で礼拝し、帰国するエチオピアの高官に、イエス様を伝えました。この時、エチオピアの高官はイザヤ書53章7・8節の苦難のしもべの歌、正しくこの聖書箇所を読んでいました。ピリポはこの高官に、この箇所からイエス様の十字架の贖いによる救いを説き明かしました。イエス様を救い主と信じたこの高官は、道すがらの水のある場所で洗礼を受けたのです。この高官は神様を喜びながら故国へと帰って行ったとあります。
神様は過去も、現在も、未来も、救い主イエス様を通して、ご自身の救いの栄光を表そうとされています。今年のメサイア公演に、苦難のしもべとしてのイエス様の楽曲が加わることは意義深いことです。メサイア公演やクリスマスの諸行事が、救い主イエス様を表し、この救いに与る方々が起こされ、神様の栄光が表され、喜びに満ちたクリスマスとなりますように、共に祈りながら備え、待ち望みましょう。
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