聖書全巻通読第60巻
説 教 題:「苦難を通しての栄光」 井上義実師
聖書箇所:ペテロ第一4:7~19
新約聖書の後半は最後の黙示録を除いて手紙になります。手紙の前半はパウロの手紙が13通残されています。続いて、へブル人への手紙からユダの手紙までの8通が、宛先が教会や個人ではなく、広く宛てられている公同の手紙と呼ばれます。私はこの頃になって、特定の教会や個人宛てではない公同の手紙の方がより深みがあるように感じています。特に、聖書の終わりが近づいてきますと、より終わりの日に関して語られています。
Ⅰ.私たちの苦難
今日の聖書箇所には苦難、試練、苦しみという言葉が出てきます。誰もが楽しいこと、嬉しいことを求めます。苦しいこと、辛いことは誰もが避けたいと思います。しかし、苦しみが誰に、どんな形で起こるかは分かりません。聖書は苦難を否定、無視せずに、正面から受け止めています。また、どんなに良い境遇に恵まれ、良い賜物を持っていると見える人にも、人には分からないその人の苦しみがあります。
私たちは神様への信仰に導かれ、信仰生活を送っています。神様は神様を信じている私たちを愛し、私たちの人生を導かれます。神様を信じていれば、何もかも上手くいく、万事問題なしというのかというとそうではありません。12~16節には信仰者であったとしても、苦難、試練、苦しみがあることが記されています。神様は私たちを苦難の中でどう導かれるのでしょうか。
1)苦難そのものが解消されることもあります。
2)神様は苦難があっても、苦難を乗り越える力を私たちに与えてくださいます。
3)神様は、私たちが苦難と共に生きるように強められることもあります(パウロの経験、コリント第二12:7~10)。
4)神様は、苦難を通して人の慰めや励ましとされることもあります(ペテロの経験、ルカ22:31~34)。
神様の苦難への回答は、全てが私たちの望むように進んでいくという御利益ではありません。神様は神様の回答を持ってくださっています。私たちが知り得ない神様の視点から、最善を考えてくださっています。神様の回答が、今、私たちには分からない、知り得ないこともあります。
Ⅱ.イエス様の苦難
私たちの持つ苦難を神様は決して見過ごされていません。私たちと関わりを持たれています。
神様は、全ての人の救いのために、独り子イエス様をこの世に送られ、神様の愛を表し、神様の救いを確かなものとされました。神様であるイエス様の地上の生涯は、苦難と無関係ではなく、苦難そのものを負われました(2:22~24)「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」。イエス様は私たちを愛され、救いの道を開くために十字架に至る苦難を負ってくださいました。
イエス様は私たちの苦難を、この地上で経験してくださることによって、私たちの苦難を思いやることができる御方です(へブル4:15・16)「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。 ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」。
イエス様はあわれみ、慈しみ、思いやりに満ちた御方として、私たち一人一人を顧みてくださっています。
Ⅲ.終末における苦難
聖書は、終わりの日が来ること、救いの完成であるということを指し示しています。今日の聖書箇所は(7節)「万物の終わりが近づきました。」と厳かに始まります。ペテロがこの手紙を記して2千年近く経っていますが、終末は未だ来ていません。私たちが疑問に思う終わりの時が時間的に遠いのか、近いのかということは余り重要なことではありません。寿命がある、限りがある人間の時間と、限りのない永遠の存在である神様の時は比較ができません。次の、ペテロ第二3:8には、「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」とあります。
私たちは、終わりの日に再び来られるイエス様を、確かなこととして何時でもお迎えできる準備をして待つ者です。イエス様が再び来られて、悪や汚れを滅ぼしてくださる。永遠にいたる完成につながっていきます。私たちは苦しみ、痛みを抱えながら、地上の生涯を送っていますが、永遠に与る希望を持ち、期待し、待ち望んでいく者です。
この世の苦難は存在し、私たちは悩みを持っています。困難の中であえいでいますが、神様の時間の中では、時の間のことなのです(5:10)「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」。私たちは神様が用意されている永遠の栄光を仰ぎ、待ち望み、今日の日を歩んでいく力をいただきましょう。
