聖書各巻緒論57・パウロ書簡13
説 教 題:「神様の愛の結実」 井上義実師
聖書箇所:ピレモン1~25
新約聖書の使徒の働きの後は、パウロの手紙が13通残されています。ローマ人への手紙から始まって、13通目がピレモンへの手紙になります。若い頃は、他のパウロの手紙に比べると、パウロの個人的な手紙であるピレモンへの手紙はさほど気にかけていませんでした。読み飛ばすような読み方をしていただろうと思います。
何時からか、この手紙がパウロの手紙の最後に収められていることの意味を、しみじみと感じるようになりました。神の愛が理念ではなく、実践であるということ、神の愛に生きることはどういうことかが具体的に記されているのがこの手紙です。神学や教理では終わらない、それらを越えた、非常に大切な手紙であることを覚えます。
Ⅰ.ピレモンへの手紙の背景
この手紙は、パウロがローマに到着した使徒の働き28章最後にある状態です。パウロは裁判にかけられる前の未決囚として、番兵は付けられて自由はありませんでしたが、家で暮らすことのできた時期の話です。
手紙の宛先のピレモンは、コロサイ教会の創立者となった有力な信徒でした。パウロとは深いつながりがあったのです。オネシモという奴隷が出てきますが、オネシモはピレモンの奴隷でした。しかし、オネシモは何があったのか、主人ピレモンを裏切り、逃げ出したのです。オネシモが流れついた先が、大都会のローマでした。このローマで、囚われて不自由な身であったパウロと出会います。パウロは逃亡奴隷のオネシモが、コロサイのピレモンの元にいたことを知ってどれ程驚いたことでしょうか。オネシモはパウロから神様の福音を聞き、イエス様を救い主と信じる者となりました。事実は小説よりも奇なりと言いますが、映画のような、小説のような話が実際に起こりました。ピレモンの元を逃げ出したオネシモを救うという、神様の愛が大きく働いていたのです。
Ⅱ.ピレモンへの手紙の内容
救いに与ったオネシモは主イエス様に仕えるようにパウロに仕えました。囚われの身のパウロにとって、本当に大きな喜びであったことでしょう。パウロは、「獄中で生んだわが子オネシモ」(10節)と呼んでいます。しかも、「彼は私の心そのものです。」(12節)とまで言っています。パウロはオネシモを、自分の元に留めておきたかったのですが、オネシモが主人であるピレモンの元に帰ることが必要だと考えるようになりました。オネシモをピレモンの元に送り返すための執り成しの手紙が本書です。
パウロは、ピレモンに信仰者として、神様にある愛に訴えています「愛のゆえに懇願します。」(9節)。パウロはピレモンが神の愛を実践していることを聞いていて同じ愛を表してほしいと願っています「すべての聖徒たちに向けている、愛と信頼について聞いている」(5節)、「あなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。」(7節)。「私を迎えるようにオネシモを迎えてください。」(17節)と依頼しています。
ピレモンはオネシモの裏切りを怒っていることは間違いないことでしょう。主人は逃亡奴隷をどのように扱うこともできましたが、パウロはピレモンの持つ神様の愛にかけていました。ピレモンが神様の導きによってオネシモが救われたことを理解し、受け止めることを期待し、信じていました。
Ⅲ.ピレモンへの手紙の希望
パウロは逃亡奴隷オネシモが回心して、救いに与ったことでピレモンに手紙を書いています。オネシモが行ったことは悪であり罪ですが、オネシモはこのことを通して、イエス様の救いに与りました。通ってきた過程は良くありませんでしたが、結果的には神様によって、悪しきことが良いことに逆転しています。
オネシモの救いによって神様の愛が表され、神様の恵みが周囲に満ちて行きました。目に見えることが良くないことであっても私たちは諦めなくてよいのです。そこから良い実を結ばせてくださるのは神様の働きなのです。このことを通して、パウロとピレモン、パウロとコロサイ教会のつながりもさらに太く豊かにされていったことでしょう。コロサイに帰ったオネシモは、主人ピレモンとコロサイ教会のために全力で仕えたことは間違いありません。神様の愛の実が結ばれていったのです。
ピレモン、オネシモに起こったことは聖書の時代のドラマのような話です。そこに、神様の愛の結実がなされていきました。時を越えて、聖書は私たちが罪を行っているなら、罪の奴隷であると言っています(ヨハネ8:34)。私たちは人の奴隷になることはありませんが、罪に支配され、欲望の虜にされることは起こり得ます。この時代に多くの誘惑があり、たくさんの人がもがき、苦しんでいます。多くの依存症がありますが依存には、物質への依存(アルコール、たばこ、薬物…)、行為への依存(ギャンブル、買物、ゲーム、盗み…)、人間関係の依存(異性、DV…)の3区分があると言われます。
悪魔も、この世のものも、私たちを捕えようとしています。しかし、その中で私たちはイエス様にある魂の自由をいただいています「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。」(ガラテヤ5:1)。私たちは、私たちを罪と滅びから解き放ってくださったイエス様と、隣人に仕えていきましょう「兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。」(ガラテヤ5:13)
