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 30分で学ぶ新約聖書 ⑰テトスへの手紙

聖書各巻緒論56・パウロ書簡12
説 教 題:「選ばれている者として」   井上義実師
聖書箇所:テトス2:11~15

 聖書全体を身近に感じていただきたい、全体像を把握していただきたいという願いで、聖書各巻を礼拝で開いてきました。このテーマでは2025年の最初になります。各巻1回ずつでもなかなか前に進みませんが、今日を終えると後10回になります。牧会書簡と呼ばれる、牧師への手紙のテモテ第一、第二に続いて、テトスへの手紙です。テトスは、テモテと同じようにパウロの愛弟子「真のわが子テトス」(1:4)になります。テトスはクレタ島の牧師でした(1:5)。地中海にある温暖な気候のクレタ島はのんびりした雰囲気だったのでしょうが、信仰の熱心さには欠けていたようです。今朝の箇所は、救いの基本と言うべき内容です。少し緩みがちなクレタ島の信仰者も、ここに立っていてほしという神様の祈り、願いが記されています。

目次

Ⅰ.主の救いの恵み


 11節「すべての人に救いをもたらす神の恵み」とあります。「恵み」は聖書の特別な言葉の一つです。神様は罪と汚れにまみれた、受ける価値のないものに与えてくださいます。神様は全ての人に開いてくださっています「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」
(ローマ3:23・24)。
私たちの罪の贖いの代価は、イエス様が十字架で支払ってくださっています。私たちは自分の罪にも関わらず、何の代償も必要がありません。無代価のものです「しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。」(へブル9:11・12)。永遠の贖いの中に私たちは生かされています。例)。モーセはへブル人への迫害の中にありながら、姉ミリアムの機転で母の膝の上で育ちます。乳離れしてエジプトの王宮に迎えられました。奴隷であるへブル人の粗末な小屋から、当時の世界最高の王宮に移ったのは大変な驚きだっただろうと思います。私たちがイエス様の十字架の贖いによって、神様の救いに与り神の子とされることは、全く境遇、取り扱いが変えられていく次元の恵みなのです。
神様がイエス様を通して備えてくださった救いは「恵み」そのものなのです。

Ⅱ.主を待ち望む


 私たちは神様の恵みによって救いに与ることができました。それはまた、神様の希望に生きるものとなったと言えます「祝福に満ちた望み、…イエス・キリストの栄光ある現れを待ち望む」(13節)。その希望とは何でしょうか。突き詰めて考えると、イエス様が再び来られることを待ち望む希望です。
この世が大切にしているものは多くあります。それらは真善美にかなっている価値あるものもあります。しかし、この世のどんな素晴らしいものも、永遠に至るものはありません。
私たちが救いに与っていただいている希望は、永遠につながっている希望です。永遠につながっている希望に生きるのなら、この世の価値観とは違う価値観に生きるということになります。そのことは「私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し」(12節)と記されています。この世と離れて生きるのではなく、この世にあって神様の愛、義、聖を表す生き方なのです。例)。M.ルターは神様の御心を妨げる力を3つ挙げています。1)悪魔の力:神様に敵対する、私たちを陥れようとする霊的な力、2)この世の力:私たちを世俗的な価値観や欲望、富や権力への執着に捕えようとします、3)肉の力:肉体的な欲望、自己中心的な思考、弱さや恐れといった罪の傾向が私たちの内にあります。
この世に留めようとする力、神様から引き離そうとする力に対して、私たちは主にあって勝利しましょう(参照:詳しくはエペソ6:10~18をお読みください)。

Ⅲ.主にある選び


 主の救いに与り、主にある永遠の希望に生きるものは「選びの民」(14節)とされています。選びの民は「良いわざに熱心」とあります。良いわざとは単に道徳的に良い働きを言っているのではありません。私たちはイエス様の十字架の贖いによって、罪から救われ、神様の愛と義と聖に満たされつつ、イエス様を喜び、永遠を仰ぎながらこの地上の歩みを続けています。この信仰にあるものたちが神様への喜び、感謝をお返ししていくことなのです。例)。今日は後ほど、ワールド・ビジョン・ジャパンからの感謝の報告をいただきます。世の中には、献身的な働きをされている多くの素晴らしい団体があるでしょう。しかし、神様への信仰を基盤として良いわざをなしておられることに大きな意味があります。中国に派遣されていたアメリカ人宣教師ボブ・ピアス師の内に与えられた「すべての人々に何もかもはできなくとも、誰かに何かはできる。」という思いから始まっています。
私たちも今、主にあって救いの内に生かされている感謝を良いわざとしてお返ししようではありませんか。

 クレタ島の信仰者たちは決して誉められた信仰を持っていたのではありません。しかし、神様は変わらない恵みを注がれ、彼らが自発的に喜んで主の愛に応えていくものになることを願い、導かれていたのです。私たちにも神様は期待をされ、私たちが神様の御心に沿って生きて行くことを願われています。神様の御思いに応えていきましょう。

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