Merry Christmas

共にイエス様のご降誕をお祝いしましょう!

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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

 

 

司会:藤村隆太兄  奏楽:宮澤幸恵姉

前奏                                  奏楽者
開会唱             聖366            聖歌隊
招詞              イザヤ60:1~3   司会者
賛美              新82(聖ナシ)            一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             59(?ヨハネ4章)927頁(新改訳)〃
祈祷                                  司会者

賛美              新77(聖ナシ)            一同
合唱              「きよらに星すむこよい」聖歌隊

聖書              ルカ2:8~20        大垣謙人兄
説教              「救いを受け取る」       井上義実師

祈祷                                  一同
                -洗礼式-

賛美              新76(聖ナシ)            一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                  当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷                                  牧師
閉会唱             聖389(新ナシ)       聖歌隊
後奏                                  奏楽者
報告                                  司会者

説 教 題:「救いを受け取る」井上義実師
聖書箇所:ルカ2:8~20

 待降節も第四節を迎えました。今日は本年のクリスマス礼拝となり、私たちの救いのために地上に降ってくださったイエス様に心からの感謝をささげます。

主イエス様の降誕のできごとの中で羊飼いに目を止めます。イエス様がお生まれになった夜、ベツレヘムの野には羊の番をする羊飼いたちがいました。彼らに御使いを通して、神様のメッセージが伝えられ、羊飼いたちが救い主を仰ぐ、最初の礼拝者になりました。この礼拝では、羊飼いを聖書全体から見ていきましょう。

Ⅰ.羊飼いである主:旧約の時代には

 旧約聖書においては、主なる神様が羊飼いであることが示されています。旧約聖書の詩歌では「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」(詩篇23:1)が第一に挙げられます。この詩篇の中に、神様の慈しみ、神様の守り、神様の導きが私たちの全ての歩みに及ぶことが歌われています。

自分自身が羊飼いであったダビデが作者です。ダビデの生涯で、サウル王に命を狙われ逃げ延びた日々、バテシェバとの姦淫の罪、最愛の息子アブサロムの反逆、…ダビデの経験は波乱万丈ですが、人生の荒波を越えて主の愛の確かさを歌っています。預言の言では、エゼキエル34章が羊飼いとしての神様の姿が詳しく出てくることで、挙げられます。

「わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らを憩わせる。」(エゼキエル34:15)と神様は、ご自身の民イスラエルに真実を尽くすことを語られています。自らの欲得しか考えないイスラエルの為政者ではなく、神様ご自身が責任を持って、イスラエルを養うと宣言されています。

旧約聖書において、主なる神様はイスラエルの民の信仰がどうであっても、イスラエルをご自分の牧の羊として愛し導いておられたことが分かります。

Ⅱ.羊飼いであるイエス様:新約の時代から

 新約聖書に入って、イエス様は2千年前、ベツレヘムにお生まれになりました。その夜、羊飼いが駆けつけて礼拝を受けられたのが今日の聖書箇所です。

やがて30年が経ち、イエス様は神様の言葉を語り、病める者を癒し、弱っている者を励まし、必要を満たす働きを行われました「それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされた。また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。」(マタイ9:35・36)。

イエス様は、ご自身を良い羊飼いであると語られました(ヨハネ10章)。良い羊飼いの働きは、羊たちが生かされるためであり「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(ヨハネ10:10)、羊たちとの信頼関係を持ち「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。」(ヨハネ10:14)、命を捨てても羊を守るものであり「ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。

また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。」(ヨハネ10:15)、囲いの外の羊たちも呼び集めるものである「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。」(ヨハネ10:16)ことを表されました。

 イエス様は良い羊飼いであると語られた言葉通りに、十字架にかかられて命を捨てられ、私たちを神の命に生きる者とされ、全ての人に救いの道を開かれました。全ての人を導く羊飼いとなられました。

Ⅲ.羊飼いに導かれる私たち:現代において

 私たちがどのように信仰に生きるべきかを、ベツレヘムの羊飼いたちの信仰の姿から見ていきましょう。

1)彼らは貧しく、知識もありませんでしたが、素朴な信仰を持つ者でした。

2)彼らは神様を恐れる者でした。神様の栄光の輝きに照らされ、素晴らしい神様の使信を聞くに相応しい者でした。

3)彼らは神様の言葉をすぐに信じ、神様の言葉に応答し、実行する者でした。

4)救い主に出会い、何も献げる物を持っていませんでしたが真心からの礼拝を献げました。

5)救い主と出会った喜びを証しし、神様を崇め、賛美しました。

王の衣をまとい権威を誇っているヘロデ王、学びを誇っている祭司長・律法学者、日常に埋もれて羊飼いからの証しを聞いても全く無関心なベツレヘムの人々とは、何と大きな違いではないでしょうか。

野原から急いで駆けつけた羊飼いの様に、神様の言葉に聞き、神様の愛に応答し、飼葉桶のみどり子を心から受け止め礼拝するような私たちでありましょう。

イエス様は私たちを永遠に導かれ、私たちを守られる羊飼いとしてお生まれくださいました。この御方を心から賛美し、この救いの恵みを伝えましょう。

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