聖書各巻緒論42、新約3、福音書3 
説 教 題:「聖霊による力」  井上義実師
聖書箇所:ルカ4:14~30

 イエス様の地上の生涯を描き、真実の救いを伝えています福音書の第3巻、ルカによる福音書を開いていきます。

Ⅰ.信仰がさらに確かに

 聖書各巻で序文が独立しているのは、ルカ福音書と使徒の働きだけです。両方共に、ローマの高官と言われていますテオフィロに献げられています。使徒の働き1:1の「前の書」とはルカ福音書に当たり、ルカが両方の書の著者になります。
ルカはパウロの弟子でした。コロサイ4:14の「愛する医者のルカ」からその職業は医者だと分かります。2千年前の医学とは何だろうかと思いがちです。呪術や迷信の類と考えやすいでしょう。今でも、医療関係でヒポクラテスの誓いが宣誓されるところがあります。西洋医学の祖の一人と言えるギリシアのヒポクラテスはB.C4世紀の人物です。ギリシア文明では、さまざまな分野で科学的思考を求めていたのです。
テモテ第二4:11には「ルカだけが私とともにいます。」とあり、ルカはローマで囚われていた獄中のパウロと共にいたのです。ピレモン24には「私の同労者たち、マルコ、…ルカ」とあり、ルカとマルコは、同じパウロの弟子として互いに面識がありました。ルカ福音書1:1~3の序文で「多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。私も、すべてのことを初めから綿密に調べています」とありルカはマルコからイエス様について聞き、マルコ福音書も参照しながら、このルカ福音書を記しています。ルカ福音書は言うまでもなくマタイ福音書との共通性、ヨハネ福音書とは思想を汲み取っていると言われ、医者であったルカの綿密さというものを見ることができます。ルカ福音書は、既に信仰を持つテオフィロに教えの確かさ(1:4)を示すために書かれています。私たちが、ルカ福音書によってさらに信仰に導かれていくことを示しています。

Ⅱ.宣教がさらに大きく

 今朝は、ルカ福音書の中からイエス様の宣教の始まりの記事が開かれてきました。ルカ福音書は、イエス様の降誕、成長、ヨルダン川での受洗、荒野の試誘、その後はこの記事から始まります。現在、まだまだコロナは収束していません。しかしながら、閉ざされた期間を経て、私たちもこれから宣教に向かおう、という思いから、この箇所が開かれてきました。
イエス様によって、新しく始まっていく宣教への準備は、「聖霊に満ちて…、御霊によって荒野に導かれ」(4:1)、「御霊の力を帯びて」(4:14)と繰り返し聖霊が出て来ます。神ご自身であるイエス様が宣教の働きのために、最も必要とされたのが聖霊の満たしと、聖霊による働きだったのです。それであれば、私たちが聖霊を抜きにして御言を語り、人を導くことはできません。聖霊を求めることを第一とし、ここから始めていきましょう。私たち自身が聖霊の器とされるように、私たちの周囲から、この日本に救いの業が起こるように祈っていこうではないでしょうか。

Ⅲ.足元からさらに広く


 この記事では、イエス様は郷里のナザレに帰られました。安息日に通い慣れた会堂に行かれています。イエス様はイザヤ書61:1・2を朗読され、御言を語られ、ナザレの町の人々は神様の恵みを喜びました。彼らはそれだけでは満足せずに、イエス様に特別な奇跡や癒しを求めました。しかし、イエス様はこれに応えられませんでした。彼らの求めが見せ物であるかのような興味本位で、御利益を求める自己中心的なものであったからです。イエス様が、彼らの求めに応えられないと怒り、イエス様を殺そうとまでしました。
イエス様がナザレの町の大工ヨセフの息子であり、幼少期からずっと共にいたこと、自分たちとは特別な関係にあるという自分勝手な思いを否定されています。郷里、家族、知り合いという関係は恵みでありながら、感情的なあつれきが起こりやすいことです。しかし、イエス様はご自分の一番近い関係から、福音宣教の働きを始められました。イエス様が祈り続けられていた母マリアや兄弟たちの救いは、イエス様の十字架の後に果たされていったのです。家族の救いがなされているならば大いに感謝し、今見ることができなくとも、やがては成し遂げられていくことを見、私たちも諦めないで祈り続けていきましょう。

 ルカの福音書は私たちを信仰の深みへと導くためにあります。主がなされ、語られた真理に固く立っていきましょう。