前奏 奏楽者
招詞 詩篇24:9~10 司会者
賛美 新24(聖479) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱  聖373(新ナシ)  〃
使徒信条 新826頁 〃
交読文48(イザヤ第35章)917頁〃
祈祷           司会者

賛美 新68(聖ナシ)   一同

聖書ヨハネ1:9~14  五領保子姉
説教「神の言葉が現れた」 井上義実師

祈祷            一同

賛美 新155(聖482)   一同
献金
献金唱 聖378(新ナシ)   〃
感謝            当番

頌栄 新63(聖383)    一同
祝祷             牧師
後奏            奏楽者
報告            司会者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

説 教 題:「神のことばが現れた」井上義実師
聖書箇所:ヨハネ1:9~14

本日から待降節を迎えました。今年は降誕日礼拝まで4回の説教を神のことばをテーマにして語っていくように導かれました。

「初めにことばがあった。」(1:1)という言葉からヨハネはイエス様の降誕を語り始めます。不思議な美しい響きがあり、深さのある言葉であることを感じます。今朝はこの特別なことば、神様のことばから恵みをいただきましょう。

Ⅰ.神のことばとは

 私たちの周囲は言葉があふれています。テレビや動画配信の音声、新聞や本・雑誌の活字から、PC・スマホ・タブレットから、人々の話し言葉から目にも耳にも入ってきます。語られている言葉の内容も豊かなもの、貧しいもの、暖かいもの、冷たいもの、励ますもの、貶めるもの、…様々でしょう。

言葉の区分は話し言葉、書き言葉に、その上に打ち言葉(2018年文化庁が制定しています)が加わりました。打ち言葉とはスマホやPCから打ち込まれ、SNSやメールで流れていく言葉です。話し言葉が多くを占める書き言葉ですし、若者言葉の変化は大きいでしょう。歴史上から言っても、言葉そのものは使われて行く中で変化していきます。言葉を伝える媒体も変わっていきます。

神のことばは明確に違います。神のことばはイエス様であるとここに出てきます「ことばは神であった。」(1:1)。神のことばであるイエス様について説明がされていきます。永遠から、始めから存在したものです「初めにことばがあった。」(1:1)。三位一体の交わりを持っています「神とともにおられた」(1:2)。天地創造を行なわれました「すべてのものは、この方によって造られた。」(1:3)。

神様のいのち、永遠のいのちを持っておられます「この方にはいのちがあった。」(1:4)。この世の光ではなく神様の光を持っておられます「すべての人を照らすそのまことの光」(1:9)。神のことばであるイエス様は、やがて消える人の言葉ではなく、永遠にあり、命を与え、光を照らす存在なのです。ことばであるイエス様がこの世にお生まれになったのがクリスマスの降誕です。

Ⅱ.人の対応によって

 神様である御方が、神でありながら人の肉体を持って生まれてくださいました。2000年前にイエス様を目にした、イエス様に出会った周囲の人々はどう受け止めたのでしょうか。イスラエルの人々は「ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」(1:11)とあります。イスラエルの人々は、最後はこの御方を十字架に付けて葬ろうとしたのですから、これは全くの拒絶です。

イスラエルの人々は、自分たちは神様から選ばれた特別な存在で、救いを受けるに相応しいと見なしていました。先祖にアブラハムを持つ誇り、神様が共におられた歴史、律法が与えられて救いが示された民であるという、おごり高ぶった自尊心にまで至っていました。自分たちは血筋が正しい「血によって」、自己中心的な「肉の望むところ」、人間的な考え「人の意志」(1:13)を持っていたとあります。

凝り固まってしまっていたイスラエルの人々はともかくとして、神様の約束は、イエス様を「受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(1:12)にあります。

受け入れるとは心にそのまま受け止めることです。イエス様を受け入れた人は、「ただ、神によって生まれた」(1:13)新しい人となります。誰でもそのまま言葉通りに、イエス様を受け入れることによって、新しく生まれることができるのです。イエス様の降誕は私たちの霊的な誕生につながっています。

Ⅲ.人の間に住まれる

 この世にお生まれくださったイエス様は私たちの間に住まれました。住むという言葉は、幕屋、天幕を張って住むという言葉の意味になります。モーセに率いられた荒野の時代、会見の幕屋に神様の臨在がありました。イスラエル王国時代、ソロモンが建てたエルサレム神殿の聖所に臨在がありました。

イエス様が歩まれる中に神様の臨在が表わされました。そのイエス様も、今は天に帰られました。幕屋は無くなり、神殿も壊され、イエス様も見えない存在になって、神様の臨在は失われてしまっているのでしょうか。

イエス様を通して全ての人への救いが成就したように、神様の臨在は全ての人へと広げられました。今や、イエス様を受け入れた人の心に住んでくださいます「あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」(コロサイ1:27)。イエス様が持たれている「恵みとまこと」(1:14)が私たちにも及び、私たちはイエス様を内に持つことができる大いなる恵みに生かされています。

さらに、イエス様は再び来られ、永遠に至る神の国が完成し、私たちは揺るぐことのない神の民とされていくのです「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」(黙示録21:3)。

既に大きな恵みの中にある私たちは、完全な救い、完全な贖いが表わされていくことを待ち望んでいます。

神様は地上にイエス様を遣わされて栄光を表わされ、救いの恵みを開かれました。完成の時が来る真実を見せてくださっています。私たちはイエス様を受け入れた者として、すでにその中にあることを感謝し、この恵みを多くの人に証ししていきましょう。

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