『メサイア』ってなに?~第二部・第三部~【解説】

■イエス・キリストというお方
さて、「救い主」は、『旧約聖書』が予告していたとおりに、この世界に登場したものの、その働きは、当時の人々の期待とは異なるものでした。すなわち、イエス・キリストは、ご自身が神であることを示す、多くの権威あることばや奇跡を通して、民衆を癒されたにもかかわらず、人々が求めていた政治的リーダー像とはかけ離れていたので、為政者や既成の宗教指導者たちから憎まれた挙句、民衆からも見捨てられ、何の罪も犯していないのに十字架刑に処せられてしまいます。しかし、このこともまた、はるか昔から『旧約聖書』で予告されていたことでした。

■イエス・キリストの十字架の意味

実は、『メサイア』第二部でも数多く引用される、『旧約聖書』の中の『イザヤ書』という書物には、「救い主」が「受難の僕(しもべ)」として、人々から蔑まれて死ぬことが予告されています。なぜなら、「救い主」がこの世界に来る目的は、私たち人間を、罪の裁きと永遠の滅びから救い出すために、全人類の罪の身代わりとなって死ぬためだったからでした。そしてその予告どおり、イエス・キリストは十字架上で犠牲の死を遂げられたのです。このことが、24番「主なる彼は負いませり」で歌われます。

メサイア24番:主なる彼は負いませり で引用された聖書の言葉

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」(旧約聖書:イザヤ書53章4~5節)

■イエス・キリストの復活と再臨

ただし、「救い主」の働きはこれで終わったのではありません。『新約聖書』には、イエス・キリストは、十字架上の死と埋葬の後、三日目によみがえり、多くの人の前に現われて天に昇られたと記録されています。そして更に、「救い主」は将来、もう一度この世界に来られ、神の国を樹立された後、私たちを新天新地に迎え入れて下さると約束しています。

これらのことが、44番「ハレルヤ」をはじめとする、メサイアの第二部後半と第三部で歌われ、イエス・キリストを「救い主」と信じる者には、神と共に生きる、永遠のいのちが約束されていると『聖書』は語っています。そしてその約束は、『聖書』の言葉がこれまでも着々と実現してきたゆえに、将来、間違いなく実現するのです。

■私たちの救い

このように、『聖書』には、この世界の始まりから終わりまでに起こることに加え、私たちには想像もつかない新天新地へと続く、壮大なスケールの神の計画が書かれています。このことを纏め上げて歌われるのが、ヘンデルの『メサイア』です。

この『メサイア』を通して、視聴される多くの皆さんが、生きた『聖書』の言葉に触れ、真の神であり、「救い主」としてこの世界に来られたイエス・キリストが、私たちの罪のために死んで葬られ、よみがえられたことを信じて救われますよう、切にお祈りします。