入堂
静思
前奏奏楽者
招詞   ヨハネ10:14~16 司会者
賛美           新36(聖289)               一同
主の祈り    新826頁           〃
祈祷唱     聖373(新ナシ)               〃
使徒信条    新826頁           〃
交読文     39(詩篇第122篇)911頁    〃
祈祷                                      司会者

賛美              新270(聖468)              一同

聖書              コリント第一11:23~29  沖加奈姉
説教              「主と、互いの交わり」     井上義実師

祈祷                                      一同
                -聖餐式-

賛美              新399(聖585)              一同
献金
献金唱     聖378(新ナシ)               〃
感謝                                      当番

頌栄              新63(聖383)一同
祝祷                                      牧師
後奏                                      奏楽者
報告                                      司会者

説 教 題:「主と、互いの交わり」井上義実師
聖書箇所:コリント第一11:23~29

10月を迎えました。今日から会堂では座席数100名で礼拝をささげます。本日は世界聖餐日です。10月は聖餐月間として各週の礼拝で聖餐式を執り行います。

Ⅰ.教会の問題から

聖書に記されています使徒の時代の教会は、イエス様がこの地上を歩まれた時から間もない時代ですし、理想的な教会であったと思いやすいのではないでしょうか。神様ご自身も、神様が備えてくださった福音も完全ですが、教会は人間によって構成されています。

人間の不完全さのゆえに教会にも間違いや過ちが起こることがあります。パウロが2通の長い手紙を宛てたコリント教会は問題が多かったのです。コリントはアテネに近く、地理的に2方向への港があり流通の中心でした。

コリントは商業と生産で栄え、それ故にと言えるでしょうが、町の風紀は乱れていました。パウロは第2回伝道旅行でアテネの伝道の後、コリントでアキラ・プリスキラ夫妻と出会い、この町に教会が生まれていきます(使徒18章参照)。

コリント教会は恐らく、教会員数も多く、活気があった教会でした。しかしながら、教会に存在した問題は、分派的(1:10~17)、不品行・逸脱(5:1~2)、その他にも結婚について、偶像に関してなど多々ありました。神様にある美しい一致や、心励まされる証しからは遠かった教会でした。

Ⅱ.問題から解決へ

パウロはこの手紙でコリント教会へ問題の解決を語っていきます。さらに、積極的に教会が神様の栄光を表わせるように11章は礼拝について語られています。

この11章以降は、教会を建て上げていくことが語られて行きます。当時の教会は、食事を持ち寄って「主の晩餐」(20節)を行っており、その分かち合いは「愛餐」(ユダ12)と呼ばれました。しかし、コリント教会は貧しい人々への配慮が無いと言ってよく、愛餐が愛の行為と言えなかったのです。

パウロは、コリント教会を改めるために、最後の晩餐から聖餐の意義を語っているのが今日の聖書箇所です。先ず、この聖餐は「新しい契約」(25節)とあります。古い契約とは何でしょうか。

モーセの時代の、シナイ山での契約(出エジプト19:1~6)になります。神様の戒めを守ることによって祝福を得る、もし戒めを守らなければ報いを受けるという契約になります。エレミヤの時代は、イスラエルの民の度重なる背きによって、エルサレムが陥落し、国が失われるという古い契約の裁きがなされます。

しかし、その只中にあるエレミヤ31:31~34には、新しい契約が預言されています「わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。」(エレミヤ31:33)。

エレミヤに語られた預言は、イエス様が十字架で御体を裂かれ、血潮を流されたことによって、新しい契約が成就しました。ここに神様の愛が表され、この愛によって信じる者も、教会も満たさます。神様の愛に満たされることが、教会の中に起こってくるあらゆる問題の解決の基となります。

Ⅲ.解決から進歩へ

聖餐は、イエス様の十字架が目の前に描き出されるものです。私たちは十字架で成された、救いの恵みに感謝し、永遠に至る尊い救いに応答して身を献げていくものです。聖餐は単なる儀式ではなく、私たちに力を与えて、私たちを遣わすものです。

私たちは神様の愛も、恵みも忘れやすい者ですから、繰り返し行われることが必要なのです。私たちは聖餐をいつまで繰り返すのでしょうか。「主が来られるまで主の死を告げ知らせる」(26節)と記されています。

イエス様が再び来られて、教会を召し上げてくださる日まで、聖餐は礼拝と共に守られていくのです。聖餐はその上で「主の死を告げ知らせる」働きへと私たちを導きます。聖餐は礼拝と共に献げられ、宣教の力となっていくのです。

私たちが与えられている時の間に生きている者として、必要な緊張を与えるものでもあります。聖餐は、イエス様の再臨を私たちの心に呼び起こさせ、神様に目を見上げさせるものです。

 

聖餐は私たちが自己中心に生きることから、神の愛に生きる者へと導きます。主の再臨へと心向けさせて、宣教の力を与えるものです。やがてイエス様が来られる日まで、力があり、命にあふれた聖餐をささげていきましょう。

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