説 教 題:「生ける水の川」          中島秀一師

聖書箇所:ヨハネ7:37~39

 本日は6月に続いて「仮庵の祭」についてお話しする予定でしたが、猛暑の最中ですので涼しい「生ける水の川」にしました。今日の主題は「仮庵の祭」の日の出来事です。神様の導きは素晴らしいですね。

Ⅰ 祭りの終わりの大いなる日

 「仮庵の祭」はユダヤ暦の第七の月の15日から8日間行われました。この祭りの終わりの日が「大いなる日」と呼ばれる訳は、この日に大祭司がシロアムの池から水を汲んで神殿の祭壇に捧げるという特別な行事が行われたためです。この行事には三つの意味があります。

 1 40年間の荒野における生活が守られたことに対する感謝。

 2 定着した生活において水が豊かに与えられるための祈願。

 3 メシアの来臨です。

 この日には多くの群衆が出かけます。イエス様も急遽、ガリラヤから内密に上ってこられます。民衆の話題はもっぱらメシアの来臨についてです。そこでイエス様と民衆との間で様々な討論が行われています。本日の言葉はそうした状況の中でイエス様が語れたものです。

Ⅱ わたしのもとに来て飲みなさい。

 イエス様は立ち上がって、大きな声で「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになります。」と言われました。聖書は「イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」と説明しています。。つまり、「生ける水の川」とは、「聖霊の川」を指していたのです。「栄光を受けておられなかった」とは、イエス様がメシアの使命である罪人の身代わりとして十字架にかかって贖いの死を遂げていなかったことを意味しています。イエス様は十字架にかかられた後、復活、昇天され、神の栄光をお受けになりました。その後、イエス様はペンテコステの日に聖霊となって降臨され、信じる者の心に住まわれるようになりました。

 ペンテコステ以降、時代は聖霊が中心になって自由に働かれる時代となりました。聖書は「御霊に満たされなさい。」「宜しく霊(みたま)に満たさるべし」(元訳)と勧めています。 

   1 聖霊は求める者に与えられます。(ルカ11・13)

  「天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」

  2  聖霊は信じる者に与えられます。(エペソ3・17)

  「信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」

 3  聖霊は従う者に与えられます。(使徒5・32)

  「神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」

 

Ⅲ 聖書が言っているとおり

 ここでは特定の箇所は記されていませんが、当時のユダヤ人にはすぐに思い浮かべることができました。

 1「見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない。ヤハ、主は私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。」(イザヤ12・2~3)

 2「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」(詩篇42・1)

 3「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買え。代価を払わないで、ぶどう酒と乳を。」(イザヤ55・1)

Ⅳ 生ける水の川

 1 生ける水の川の本質

 聖書は「イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。」(39)と記しています。つまり、「生ける水の川」は「聖霊の川」を意味していたのです。

 2 生ける水の源

 イエス様は「その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになります。」と言われましたが、そもそも川の源はどこにあるのでしょうか。聖書は「その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。」(エゼキエル47・1)、また「神の川は水で満ちています。」(詩65・9)と記しています。生ける水の川、つまり聖霊の川はその源である神から流れ出て、イエス様の昇天後、聖霊となって降られました。そして求める者、信じる者、従う者の心の奥底に住まわれ、そこから流れ出るようになりました。

 3 生ける水の川の別称

 「生ける水の川(聖霊の川)」はいろいろな名前で記されています。その名前そのものが聖霊の本質を現していると理解して宜しいかと考えます。つまり、あなたが楽しくなれば、あなたの心に「生ける水の川」が「楽しみの川」として流れ出たことになります。あなたが平安であれば、あなたの心に「生ける水の川」が「平安の川」として流れ出たことになります。

 ① 神の川(詩65・9)

  「あなたは地を訪れ 水を注ぎ これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。」

 ② 楽しみの川(詩36・8)

 「彼らは あなたの家の豊かさに満たされ あなたは 楽しみの流れで潤してくださいます。」

 ③ 平安の川(イザヤ48・18)

  「あなたがわたしの命令に耳を傾けてさえいれば、あなたの平安は川のように、正義は海の波のようになったであろうに。」

 ④ 喜びの川(詩篇46・4)

  「川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられる その聖なる所を。」

 ⑤ 正義の神(アモス5・24)

 「公正を水のように、義を絶えず流れる谷川のように、流れさせよ。」

 ⑥ 知惠の川(箴言18・4)

 「人の口のことばは深い水。知恵の泉は湧いて流れる川。」

 ⑦ いのちの水の川・水晶のような川(黙示22・1)

 「御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。」

Ⅴ その人の心の奥底から流れ出る

 私たちが居住しているマンションは年に一回「共用配水管清掃」が行われます。マンションのことですから一居室の配水管に支障があれば、他にも少なからず影響が及びますから、マンション全体の清掃は大切なことであり、本当に有り難いことです。

  「心の奥底から流れ出る」とは、「聖霊に満たされた状態」を表しています。つまり、神と私たちをつないでいる、「聖霊のパイプライン」が正常であることを証明しています。聖書が「御霊に満たされなさい」(エペソ5・18)と私たちに命じるのは、いつもその状態を保ちなさいと言う意味なのです。それが私たちの保つべき好ましい霊性なのです。それでは私たちの信仰生活はどうあるべきでしょうか。それは決して難しいことではありません。三点から考えて見ましょう。

 1 神が望まれること

 聖書は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5・16~18)と記しています。「常時喜悦、不断祈祷、万事感謝」の信仰です。

 2 いつまでも残るもの

 聖書は「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」(Ⅰコリント13・13)と記しています。

 3 御霊の実を結ぶ

 聖書は「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。」

(ガラテヤ5・22~23)と記しています。

 「生ける水の川」は、源である神から流れ出て、イエスを信じる者に流れ着き、その心の奥底から、「生ける水」を必要としている人々に流れ出るようになるのです。この川は聖霊のパイプラインによって神と私たちとは結ばれています。

 あなたの聖霊のパイプラインは神と直結していますか。接触が不十分ではありませんか。曲がっていませんか。細くありませんか。十分点検して聖霊に満たされた者とさせて頂きましょう。

 「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことができません。」(Ⅰコリント12・3)、聖霊によって始められた私たちの信仰、御国に凱旋するまで、万事聖霊の信仰を貫く者でありたく願います。