聖書各巻緒論(27)
説 教 題:「全世界の主が共におられる」 井上義実師
聖書箇所:ダニエル2:14~24


イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書(哀歌)に続いて、大預言書最後のダニエル書です。預言書の各書には特徴がありますが、ダニエル書が特別であるという、その特異性は大きいです。

I.ダニエルの背景

ダニエル書の冒頭、1:1 にありますように、エホヤキムの第 3年(紀元前 605 年)に、バビロン王ネブカドネツァルはエルサレムを包囲し、エルサレムを侵略しました。エルサレム神殿の祭具を
略奪し、目ぼしい捕虜を連れ帰った中に、少年であったダニエルはいました。ダニエルは、バビロンの地でエゼキエルと同時期にそれぞれの使命に生きました。

ユダヤ人のヘブル語聖書の区分では、ダニエル書は預言書(ネビーム)に含まれているのでなく、諸書(ケトビーム)に分類されています。この一因は、ダニエルは預言者でもありますが、他の預言者には見られない政治との深い関わりがあったからと言えます(2:48)。また、諸書には歴史書も、詩歌も、知恵文学と言われる箴言、伝道者の書も含まれています。


ユダヤ人にとってダニエルは預言者としての働きだけではなく、知恵ある者としても受け止められています。ダニエルの働きは預言者の枠を超えています。

II.ダニエルの特徴

ダニエルは他の預言者との違いがありますが、文体の違いも大きいのです。ダニエル書は他の預言書以上に、黙示文学としての特徴を持っています。ダニエル書の幻は、ヨハネ黙示録と相互に
関連付けて読むべきです。旧約聖書の預言書は、新約聖書唯一の預言書であるヨハネの黙示録につながっていきます。

偶像礼拝者の高ぶり(5:23=黙示録 9:20)、10 の角を持つ四つの獣 (7:7=黙示録 13:1)、雲に乗る人の子イエス様(7:13=黙示録1:7)、イエス様の栄光の姿(10:5~11=黙示録 1:13~19)、一時と
二時と半時、3 年半の逃れの期間(7:25=黙示録 12:14)。以上、かいつまんで取り上げましたが、細かなことは省略します。ダニエルには彼の生きたバビロン捕囚の時代について、やがて起こるバ
ビロンからの解放、救い主メシアの誕生について、歴史を超えて終末に起こることが開かれていました。

ダニエル書は大きく 2 区分されます。

第一部は歴史的な記述になります(1~6 章)。
ダニエルと 3 人のユダヤ人少年たちの召し(1 章)。
巨大な像の夢(2 章)。
金の像を拝むことを拒絶(3 章)。
ネブカドネツァルの病気(4 章)。
ベルシャツァルの祝宴(5 章)。
ダレイオスの禁令(6 章)。

第二部は預言的な記述になります(7~12 章)。
四つの獣の幻(7 章)。
雄羊と雄やぎの幻(8 章)。
七十週の預言(9 章)。
神の幻(10:1~11:1)。
地上の戦い(11:2~45)。
終末の預言(12 章)。

異邦の地、異教の地にあってダニエルは大いなる神様のご計画を知らされ、捕囚の民に告げる者であったのです。今、現在の困難を越えて神様は大いなる救いを、救い主イエス様の来臨、最終
的な救いの完成を成し遂げられることを語っています。

III.ダニエルの働き

私たちも異教の地にあって、真の神様を知ろうとしない世界に生きています。2,500 年が経っていますし、極東の日本ですが、バビロンにいたダニエルと変わらない状況にあります。ダニエル
と 3 人の同僚たちは、相手が強く、大勢であったとしても、異邦の王とその国民、偶像の神々に屈して、妥協はしませんでした。

しかし、ダニエルたちは反旗を翻したのではなく、自分たちの神が優れていると相手を見下したのでもありません。どんな無理難題に対しても、あらぬ誹謗中傷を受けても、自分たちを陥れようとする策略が張り巡らされていたとしても、神様に委ねて、動じなかったのです。神様の最善が、自分たちの上になされていくことを信じて、神様に委ね、自分が果たしうる最善をなしていったのでした。顔色をうかがい、妥協を重ねるのではなく、神様を待ち望んでいく姿勢を持っていました。このことが、神様が働かれるための最善であることを信じ、生きていったのです。ダニエルたちの生き方は、この世にありながら、永遠につながっている生き方でした。真の神様から離れた、現代のバビロン的な世界に生きる私たちへの示唆と励ましがここにあります。

異邦の地で戦い続けたダニエルへの労いの言葉でこの書は閉じられています(12 章)。捕囚の 70 年間をユダヤの民と共に歩み、キュロス王の元年に、バビロンからの解放を見ることのできたダ
ニエルは幸いでした(1:21、歴代誌第二 36:22~23)。本書を通して、ダニエルの偉大な働きを見てきましたが、ダニエルを導かれ、ダニエルを用いられた神様の栄光が表わされています。