聖書各巻緒論(24)
説 教 題:「神様からの使命に生きる」    井上義実師
聖書箇所:エレミヤ1:1~12

 先週のイザヤ書から旧約聖書の3大区分の一つ、預言書に入りました。今日は2番目のエレミヤ書です。エレミヤもイザヤと同様に、南王国ユダにあってエルサレムで活動しました。エレミヤの活動はイザヤより120年ほど後の時代となります。

Ⅰ.エレミヤの時代の背景

 時代背景は異なっていますが、イザヤとエレミヤには大きな違いがあります。イザヤは南王国ユダの滅亡を、やがて来たることとして預言していました。エレミヤはユダの滅亡の一部始終を正しく現場で経験しました。イザヤは神様の警告を語っても受け入れられていました。しかし、エレミヤが神様の審判を語ると大きな迫害を受けました。イザヤは冷静に語っているように見えますが、エレミヤは涙に暮れながらユダの滅亡とバビロン捕囚を語りました(9:1)。

エレミヤの亡国のユダへの涙は、イエス様がエルサレムを前に流された涙につながっています(ルカ19:41~44)。エレミヤの内にあった神様の愛を私たちは受け止めることができます。エレミヤは50年以上、ヨシヤ、シャルム(エホアハズ)、エホヤキム、エコンヤ(エホヤキン)、ゼデキヤの時代に神様に仕えました。エホヤキンの時代に第一回バビロン捕囚は起こりました。傀儡政権に据えられたゼデキヤはバビロンに反抗して第二回バビロン捕囚は起こり、ユダは完全に滅ぼされることになりました。

エレミヤの時代、ヨシヤ王はダビデ王家の一統でも特別に神様に従った善い王でした(列王第二23:25「ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。」)。エジプト王ファラオ・ネコがバビロン王ネブカドネツァルと戦ったカルケミシュの戦いに巻き込まれてヨシヤは戦死します。聖書は多くを語っていませんが、それは唐突で悲劇的でした。31年間に及んだヨシヤの善政さえもやがて起こるユダの滅亡を食い止められませんでした。マナセを始め、他の王たちは神様から離れることの愚かさ、悲惨を私たちに教えています。 

Ⅱ.エレミヤの預言の内容

 南王国ユダの真の神様への不信仰、周辺の神々への偶像礼拝、度重なる神様の御心に対する反逆に、エレミヤは時に論じ合い、警告を発し、何時も涙をもって語り続けました。王を始め、人々は、神様からのエレミヤのメッセージを受け入れませんでした。逆に、エレミヤが間違いである、不信仰であると断じられて、捕らえられました。

神様はエレミヤに、ユダは戦ってはならない、カルデヤ人に降伏し、捕虜となってバビロンに連れられていくようにと示されていました。神様の御心は徹底的に敗れなければ、粉々に砕かれなければ、ユダヤの民は悔い改めないことを知っておられたからです。捕囚の辱めを受けるバビロンの地で、決して見離されない神様の深い愛を知り、「残りの者」(23:3「しかしわたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての地から集め、元の牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んで増える。」)を選ばれて、回復の恵みに与っていくのです。

エレミヤの預言は、他の預言者の預言もそうですが、目の前の裁きだけではありません。今起ころうとしていることを越えて、やがて起こるべきことが語られています。


1)【メシア預言】23:4~6「わたしは彼らの上に牧者たちを立てて、彼らを牧させる。彼らは二度と恐れることなく、おびえることなく、失われることもない─主のことば。見よ、その時代が来る。─主のことば─そのとき、わたしはダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この地に公正と義を行う。彼の時代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。『主は私たちの義』。それが、彼の呼ばれる名である。」「主は私たちの義」とユダヤの民は呼ばれます。エレミヤの時代は偽り、悪がはびこっていたました。やがて来る救い主イエス様は、ユダヤの民に義をもたらせられるのです。
2)【回復の約束】31:3「主は遠くから私に現れた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。』」。神様の「愛」のゆえに回復を与えてくださいます。31:8~9「見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には、目の見えない者も足の萎えた者も、身ごもった女も臨月を迎えた女も、ともにいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに、つまずくことのない平らな道に導く。まことに、わたしはイスラエルには父であり、エフライムはわたしの長子である。」。神様がイスラエルの民を「連れ戻る」ことを約束されています。31:10「諸国の民よ、主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせよ。『イスラエルを散らした方がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守られる』と。」「牧者が群れを飼うように」神様が守られるのです。31:31~33、33節「これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである─主のことば─。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」。神様は「新しい契約」をユダヤの民と結ばせてくださるのです。

Ⅲ.エレミヤを支えた召命

 激動の時代にエレミヤは神様に仕え、厳しい裁きを語りました。愛する祖国の滅亡と民の苦しみを伝えることは、神様の言葉とは言え、どれ程厳しい道であったかと思います。狭く厳しい道を歩んだエレミヤを支えたものは何だったのでしょうか。それは、神様の召しという確かな事実です。

エレミヤを生まれ出る前から備えられたのは神様です(1:1~5、5節「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」)。

エレミヤを選ばれたのは知識や経験ではありません(1:6~8、7節「主は私に言われた。『まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。』)。

エレミヤを預言者として立たせるために、神様が直接に手を伸ばされた業は、聖とすることでした(1:9「そのとき主は御手を伸ばし、私の口に触れられた。主は私に言われた。『見よ、わたしは、わたしのことばをあなたの口に与えた。』」、イザヤ6:6~7参照)。神様が触れられたのは口であったことに深い意味があります。言葉が聖くあることによって(ヤコブ3:6~11参照)は、神様への賛美、人を励まし強めるために用いられます。神様の働き人、仕える者は言葉に仕える者です。

聖とされたエレミヤに神様はメッセージを託され、神様の権威を授けられました(1:9・10、10節「見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」)。この後、エレミヤはユダヤで1・2月に最も早く花を咲かせるアーモンドの幻を見せられました。冬が終わり、春が始まろうとする、これから始まることの序章として神様が備えられました。エレミヤの出発点はここにあります。この神様との出会いが彼の生涯を常に支え続けたのです。

 エレミヤは火急の時代に主に仕えました。私たちが今、この時代に生かされていることは、神様の思いと計画の中にあることです。神様から託された働きをこの時代に果たしていく者でありましょう。

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