招詞  ローマ5:1~2
賛美   新211(聖ナシ)
主の祈り  新826頁
使徒信条 新826頁
交読文  9(詩篇第27篇)885頁
賛美  新358(聖451)
聖書   イザヤ43:1~7
説教  「神様の愛に応える」井上義実師 聖書各巻緒論(23)
賛美     新392(新578)
頌栄  新63(聖383)
祝祷

説教題:「主の容に似るために」井上義実師
聖書各巻緒論(22)

聖書箇所:雅歌4:7

聖書各巻の緒論として先週は伝道の書を開きましたが、今日は雅歌を開きます。雅歌は英語ではSong of songs歌の中の歌と題されています。ヘンデル・メサイアの44番「ハレルヤ」のKing of kings and Lord of lords主の主、諸王の王を思い出します。ソロモンの作とされています(列王第一4:32「彼の歌は千五首もあった。」)。箴言、伝道の書、雅歌はソロモン三部作と呼んでよいでしょう。以前、あるご婦人から「どうしてこのような書物が聖書にあるのですか。私は嫌いです。」と言われました。雅歌は、ユダヤ人社会では30才以下では読めなかったと言われています。男女間の愛のストレートな表現と読めますが、その意味を考えていきましょう。

Ⅰ.主の愛に生きる

 バックストン師の雅歌霊的講解は深いと聞いてきました。同書の総論に、「聖書の中、ことに雅歌に、神様の愛が現れています。雅歌を通して、私たちは神と美しい愛の交わりのできる道を教えられます。」「聖霊の感化によって、聖霊がこの御言葉を用いることによって、新郎である主イエスの愛を知り、この主に対して新婦の愛をもって生涯を送りたいと思います。主イエスと霊的な結婚という新しい関係をもち、キリストにとどまり、キリストが絶えず私たちの内にいてくださることを願います。」とあります。

ヨハネ3:29「花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。」と記されています。バプテスマのヨハネは、イエス様こそ私たちが待ち焦がれる花婿であり、私たちは花嫁としてイエス様をお迎えする者であると言っています。花婿は、花嫁を愛し熱心に呼びかけるものです。雅歌は、花婿であるイエス様が、花嫁とされた私たちへの愛の呼びかけです。雅歌の表現は男女間の直接的なものもありますが、雅歌の内容はイエス様と私たちとの間の愛の交わりを示しているのです。

Ⅱ.主の美しさに生きる

 雅歌を説き起こす雅歌霊的講解でバックストン師は、この4章の主題を「キリストに似ること」とされています。「主が私たちに恵みを与えてくださる目的は何でしょうか。それは、私たちをご自分のかたちとするためです。ただ私たちの罪を赦すだけではなく、私たちに幸いと天国を与えるだけでなく、私たちをご自分のかたちとして、真に全き者としたいとも願っておられます。」とあります。今日の聖書箇所の前の4:1~5には愛する者への7つの美点が語られています。

1)1節「鳩の目」鳩のおとなしい様子、柔和な姿、そこに愛ある姿を見ることができます。
2)1節「髪」頭に帽子をかぶることはありますが、髪に服を着せたり、何かで隠したりはしません。表にあらわれる生涯であると言われます。
3)2節「美しく揃った歯」歯が揃っていることによって、固い食物を食することができます。柔らかい食物では、霊的な成長はおぼつきません。固い食物によって養われます。
4)3節「唇」唇によって神様を賛美し、人を励まし立たせることのできる愛ある言葉を語ることができます。
5)3節「頬」色づいたざくろが例えられています。赤い頬が健康を表しているように、魂の健康を表しています。
6)4節「首」兵器倉、やぐら、千の盾と記されていますが、意志の強さが例えられています。
7)5節「乳房」母性を表しています。赤ちゃんを育み、養わせるものです。

神様は私たちを花嫁として7つの美しさによって装わせてくださいます。それは、目に見える美しさを超えた霊的な美しさなのです。7つの美しさの装いの結論が4:7です「わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。」。弱く、不完全で、御心に背くような私たちに、ここまで神様が言い切ってくださるとは何という幸いでしょう。イエス様はここに至るまで、熱心に私たちを導いてくださいます。

神様は私たちが罪の内に滅びることを願われませんでした。私たちが罪を悔い改め、自分自身を神様に委ねるならば、イエス様の十字架の血潮によって贖われます。義とされる義認の恵みです。私たちの行いや言葉による罪は赦されましたが、罪を犯させる根本の性質は残っています。心の奥底にある原罪と言われる、汚れた澱みにまで神様は光を当ててくださいます。イエス様の十字架の血潮、聖霊の満たし、それを信じて受け止める信仰によって、神様の潔い性質へと私たちを変えてくださる聖化の恵みです。4:7「わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。」と神様は罪からの救いだけではなく、汚れからの潔めを約束してくださっています。

Ⅲ.主の力に生きる

 バックストン師は昔の軍隊には3つのグループがあったと言われています。一つは陣地を守り補給を担当する後方部隊、歩兵として歩いて戦う歩兵部隊、戦車(馬車:チャリオット)に乗って戦う機動部隊であると言われています。6:12の「気づいたら、私は民の高貴な人の車に乗せられていました。」との言葉は、戦車に乗って戦う者を表していると言われます。「高貴な人」とは主、イエス様以外にはありません。聖霊の火と力によって聖くせられ、強められた信仰者の姿であると言われています。そして戦車に乗って、主の働きのために雄々しく戦うことのできる者とされるということなのです。

 神様は私たちを聖い主の愛、汚れない主の美しさに装わせてくださるだけではありません。それだけでは自己満足に陥るかも知れません。それを越えて他者のために生きる者となります。悪との戦いに勝利する、魂を勝ち取っていく主の力強さに導かれるのです。それを成し遂げてくださるのは神様です。この御方に私たち自身を委ねていきましょう。