説教題:「全ききよめ」         中 島 秀 一
聖 書:第二コリント6:14~7:1

 「愛する者たち。このような約束を与えられているのですから、肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。」
(第二コリント7章1節)

 去る14日(日)大谷翔平選手の記者会見がありました。彼の真摯な対応に多くの視聴者は大きな感動を覚えました。彼は2017年にロサンゼルス・エンゼルスに移籍し、2018年から投打にわたる活躍は二刀流の愛称でよく知られています。近日中にアメリカン・リーグのMVP受賞が有力視されています。彼が高校一年生の時に作成した「目標達成シート(マンダラシート)」があります。全部で8つ、それぞれに8つ、合計64の目標が書かれています。
 「メンタル」のシートには「はっきりとした目標、目的を持つ。ピンチに強い、涙をつくらない、一喜一憂しない、勝利への執念、頭は冷静に心は熱く、雰囲気に流されない、仲間を思いやる心」が記されていました。彼は目標を立てると同時にそれを実行しました。マウンドでゴミを拾う姿、ダイヤモンドで投げ捨てられたバットを拾って選手に渡すシーンを何度も見てきました。まさに有言実行、若干27歳の優れた人物です。
 私たちには「肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。」という目標が与えられています。途中で頓挫することがないように共に励みましょう。

Ⅰ 約束を与えられている。

 「このような約束を与えられているのですから」とは、6章14節~18節を指し、出エジプト記等からの引用です。約束には命令が伴っています。ここには「分離」と「臨在」が記されています。「分離」は「聖潔」の概念の一つです。
 1 分離の理由
 聖書は分離の理由として「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。」ということを挙げています。具体的には、正義と不法、光と闇、キリストとベリアル(悪魔)、信者と不信者、神の宮と偶像、両者は全く相容れない関係です。
 2 神の命令
 聖書は「彼らから離れよ。汚れたものに触れてはならない。」と命令しています。
 3 神の約束
 聖書は「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。~わたしは、あなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。」と約束しておられます。

 私たちがまだ若い頃、よく子供たちから「遊びにつれて行って・・遊園地につれて行って・・」とせがまれました。私は「分かった、連れて行ってあげるよ・・」と答えたものでした。すると妻から「子供は約束するとすぐに本当に連れて行ってくれるものと思い込むから、安請負したら駄目・・」とチェックが入ったものでした。私たちの神は決して安請負なさる御方ではありません。

Ⅱ 肉と霊の汚れから自分をきよめ

 「肉と霊」とは「自己」を意味し、「自己」の実体を「肉体と霊魂」とに二分しています。また「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。」(テサロニケ第一5:23)と、「霊、たましい、からだ」(口語訳:霊と心とからだ)とに三分しています。「肉と霊の汚れ」について、ガラテヤ5章19~21節を通して考えて見ます。

 1 霊のきよめ 
 これは対神関係の問題であり、神に対する罪からのきよめです。ここでは、偶像礼拝と魔術が挙げられています。偶像礼拝はまことの神を信じないで、偽りの神を信じる罪です。コインの表裏のようで、表は不信仰、裏は偶像礼拝です。偶像は形に刻まれた像だけではなく、形に表せないもの、神よりも大切なもの、神よりも愛するもの、神よりも関心の高いもの、神よりも心が引かれるもの等々、あなたが宝として心の中心の座を占めているものなのです。
 2 たましい(心)のきよめ
 これは対人関係の問題であり、他人に対する罪からのきよめです。ここには敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派等が挙げられています。
 3 からだのきよめ
 これは対自関係の問題であり、自己に対する罪からのきよめです。
ここには淫らな行い、汚れ、好色、そねみ、ねたみ、泥酔等が挙げられています。霊のきよめも、たましい(心)のきよめも難しいものですが、からだのきよめは生身の人間の現実問題ですから、聖霊の助けを一番必要としている部分ではないでしょうか。

 昔、ある村の庄屋さんの家に初めて立派な振り子時計が入りました。庄屋さんを初めこれまで振り子時計を見た人は一人もいない頃の話です。庄屋さんは遠くの町に出かけて振り子時計を買って意気揚々と帰ってきました。大勢の村人が珍しげに引きも切らず見物に訪れました。庄屋さんは自慢げに彼らに見せました。
 しばらく立って、どうしたことか、振り子時計が止まってしまったのです。長い振り子と長針と短針が動かなくなりました。そこで庄屋さんは長い振り子と長針と短針をおもむろに、細心の注意を払いながら、時計本体から取り外し、丁寧に包装をして、購入した町の時計屋に修理をして貰うために持っていきました。時計屋さんは、庄屋さんに言いました。「この時計は振り子と長針と短針が悪いのではなく、時計本体に問題がありますので、時計本体をもってきてください。修理しますから」と言いました。

Ⅲ 聖さを全うする。

 聖書は「聖さを全うしようではありませんか。」(口語訳は「全く清くなろうではないか。)と勧めています。これはキリスト者の目標達成シートの一つかも知れません。「聖さを全うしよう。全く清くなろう。=聖化」とは、キリスト者の照準であって、目的ではありません。目的は神の国への凱旋であり、栄化の恵みです。
 一般に「信仰は、新生に始まり、聖化を経て、栄化に至る」と考えられています。その場合の聖化は「新生から漸進的に聖化に進む」という見解です。しかし、ウエスレーの信仰から始まったメソジスト教会の中で「きよめ派」と呼ばれる教会では、「新生から聖化に漸進的に進むのではなく、その間にキリストとの関わりにおいて危機的な信仰体験をする。」という見解を持っています。これをキリスト者の完全、第二の転機、全ききよめ、聖霊のバプテスマ、聖霊の盈満、内住のキリスト、キリストの形になる、・・」と呼んでいます。ウエスレアン事典は「全き聖化は、遺伝された罪の深い根源をきよめる、聖霊による神の徹底的な行為である。」と説明しています。
 この聖めの体験(聖霊体験)は個人差がありますので絶対視することはできません。信仰は生きものですから、日々のこまめな点検が必要となります。
 1 全き謙遜 
 常に悔い改め、神と人の前に謙遜であることが、聖さを全うする上で大切なことです。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)、「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる。」(Ⅰペテロ5:5)
 2 全き服従 
 信じるが従わないと言うことはあり得ないことです。「『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。」(マタイ4:19~20)
 3 全き献身 
 「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12:1)

 小寺美知子姉は素晴らしい信仰の人でした。彼女は理髪師で日曜日を休日とし、月曜日に営業しました。同業者からは日曜日がかき入れ時なのにどうして休むのかと不審に思われました。けれども彼女は神への礼拝を終生守るために日曜日を休日としたのです。これこそ献身者の姿勢なのです。

(2021.11.21)