説 教 題:「人間の不真実、神様の真実」聖書各巻緒論(7) 井上義実師
聖書箇所:士師記6:11~24

聖書各巻の緒論は第七回となりました。
神様の約束の地、カナン征服と、領土分割を記したヨシュア記の次の時代です。
士師記ほど複雑な思いで読む書巻はありません。
これが神様の選びの民の姿かと目を疑うことばかりです。不信仰、不従順、不法、無秩序 … 

前回も挙げましたが1-3章には、
1)カナン先住民を滅ぼし尽くしていない。
2)カナン先住民を放逐もせずに共存した。
3)土着の偶像宗教を持ち込んだ。 

以上が記されています。

これ以降、カナン先住民族が敵となり、その宗教が罠となっていったのです。
イスラエルが神様から離れると、カナン人の侵略に苦しみ、彼らが神様に叫ぶと、神様が立てられた士師によって国が救われます。
士師が亡くなると、同じことが繰り返されました。
この士師記の時代は「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」(21:25)と締めくくられています。

Ⅰ.基本的なことがら

著者:サムエルという考え方はありますが、明白ではありません。
執筆年代:士師記の年代は450年間(使徒13:20)、各士師の記述を合計すると410年間となります。
出エジプトの時期を何時とするのかで、受け止めは難しい問題です。
大区分
・1~16章 12人の士師によって治められた時代(12部族それぞれから1人)
オテニエル、エフデ、シャムガル、デボラ(バラク)、ギデオン、トラ、ヤイル、エフタ、イプツァン、エロン、アブドン、サムソン
・17~21章 補遺:ミカの家、ダン族の移動、ベニヤミン族の大事件

Ⅱ.基本的なメッセージ:「さばきつかさによる治世」

士師とは漢語であり、中国語聖書を経由してきています。さばきつかさとも呼ばれています。彼らの働きは「さばき」裁判だけではありません。イスラエルの政治、宗教的な祭事に及び、戦争となれば軍事も主としています。あらゆる面の指導者と言えるでしょう。神様は、この士師記の時代、イスラエル12部族が協調し、世俗政治ではなく神政政治がなされることを願われていたと受け止められます。

アブラハムから始まった族長時代は、1家族・1部族に過ぎませんでしたが、ヤコブの息子12人が、続くエジプトの400年間で1民族となりました。モーセによってエジプトを出発し、ヨシュアに率いられてカナンの地を占領し、イスラエル民族は国土を得たのです。エジプトからカナンに至る途中の経過は多々ありましたが、荒野の旅も神様によって導かれてきました。他の国々、他の民族との違いを神様はイスラエルに与え、さらに得させようとされていたのです。

この神様の御心がイスラエル民族の信仰と従順によって果たされていたならば、イスラエルこそは神様ご自身の栄光の証しとなったのです。現実はその正反対の姿となってしまったことは真に残念です。

Ⅲ.聖書箇所のメッセージ:「ギデオンの召命」6:11~24

 この箇所から士師ギデオンの物語が始まります。神様はギデオンをご覧になり、彼を選ばれていました。ミディアン人を恐れ、地面を掘ったぶどう酒用のぶどうの踏み場で、小麦を打つ慎重な性格(11節)、マナセの小部族で、年が若いという出身(15節)もよくご存知の上で神様はギデオンを召し出されています。人間の目から見るならば、神様は突如として臨まれる御方です。モーセはホレブの山で燃え尽きない柴を見ました。イザヤはウジヤ王の死んだ年、神殿の幻で飛びかけるケルビムを見ました。モーセも、イザヤも神様の前に畏れ、ひれ伏しています。ギデオンは神様の言葉をすぐさまに受け止めず、神様の召命を確かめました。神様の意思を受け止めるという事の大きさのために必要なことであったと言えます。神様はこのギデオンに対して、「わたしはあなたとともにいる」(16節)、「安心せよ。恐れるな。」(23節)と語られました。この神様の言葉こそ、ギデオンの召しを貫く言葉です。ギデオンは精兵300人と共に、ミディアン人を破ってイスラエルに40年間の平安をもたらしたのです。   

 イスラエルの民は神様に選ばれていました。神様が共におられる特別の存在として、世界に類を見ない国家となることができたことでしょう。しかし、士師記がありのままを記しているように神様の期待には全く応えることができませんでした。次にサムエルが登場し、イスラエルは、形の上では他の国と変わらない世俗国家の形を選んでいったのです。イスラエルの民は士師記の間、多くの罪を重ねましたが、神様はあわれみを持って導かれ続けたのです。「私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。」(コリント第二13:8)。イスラエルが神様に逆らって、偶像礼拝に陥っている時には、カナン人の侵略に苦しみました。イスラエルが神様に呼ばわって助けを求めると、士師が起こされて国が救われることが繰り返されました。神様という真理の側に立ち続けることこそが、祝福の基となっていくのです。このことは厳然として変わらない真実なのです。

(2021.7.4)