聖書:ヨハネ5:31~40

新年度を迎えて1か月が経ちました。
4月から聖書が「新改訳2017」になり1年かけての通読も行っています。

その一助として、本年は聖書66巻(旧約39巻、新約27巻)、各巻の緒論を礼拝で取り上げていきます。
緒論は総論、概論とも言うべきものです。
その書巻全体を総括したものになります。

各巻の概観と、特別に示された箇所から開いていきます。
創世記からヨハネ黙示録まで66回となります。

年間を通じて教会暦・特別行事がありますので2年以上かかります。
今日はその前に、事始めとして聖書全体から語りたいのです。

Ⅰ.神様の証し

キリスト教の神様はご自身を啓示される御方です。
神様がご自分を表わされることを啓示と言います。
神様はご自分を明らかにされる御方、つまびらかにされる御方なのです。

ご自分を一般には明かさない神様もあります。
仏教で言えば密教(秘密の教えの意味)と言うこともできます。
もちろん、密教と言っても、極秘ということではありませんし、教えを伝えるための働きはなされていきます。
神様ほど、ご自分を知ってほしいと何よりも願っておられる御方です。

1)神様の存在が普遍的に表されることを一般啓示と言います。

自然全体から神様の存在を知ることができます。
宇宙から、目に見えない微小なものまで自然界は秩序と調和、美しさが支配しています。

②私たちは罪によって損なわれていますが、人間が神のかたち(イマゴ・デイ、Imago Dei、人格性・応答性)を持っていることから知ることができます。

歴史の支配から神様を知ることができます。

2)神様が存在を、特別に表されることを特殊啓示と言います。

聖書を通して神様は語られています(書かれた神の言葉)。

イエス様を通して神様は表されています(受肉した神の言葉)。

Ⅱ.証しされたイエス様

聖書全体はイエス様を証ししています。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。」(ヨハネ5:39)

神様はイエス様を通して、ご自身のメッセージを語られています。
「この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。」(へブル1:2)
聖書を知ること、学ぶことによって、私たちはイエス様を知り、学んでいくのです。

イエス様の言葉を知り、行いを知ることによって神様を知っていくのです。
聖書、神様、イエス様は分かち難く結び合わされ、それぞれを知ることは、神様の全体を知って行くことにつながっていくのです。
イエス様は御国の奥義を、「持っている人は与えられてもっと豊かになり、持っていない人は持っているものまで取り上げられる」(マタイ13:11)と言われました。

神様を知ろうと願う人はもっと豊かにされ、求めない人は乏しくなっていくのです。
「私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」(ホセア6:3)
ホセアは続いて、暁のように主は現れ、大雨のように来られると記しています。

神様は夜の闇を打ち破って輝きだす朝日の陽光のように、天から降る大雨の到来のように明らかな御方なのです。

Ⅲ.イエス様による完成

イエス様は私たちの門口となられる御方です。
「私は門です。」(ヨハネ10:9)
イエス様を通らないで救いに与ることはありません。
最初の一歩を、イエス様を信じて、イエス様の元から踏み出していくのです。
門口のイエス様を通って緑の牧場に導かれます。
私たちの信仰、霊性を養って下さいます。

イエス様を知って行くことは、信仰、霊性の豊かさにつながっていきます。
「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(コロサイ2:3)

イエス様が、どんな時にも私たちの導き手であり、永遠の望みである御方です。
「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(へブル12:2)

黙示録に出て来られるイエス様は、アルファでありオメガである、初めであり終わりであるイエス様に従い続けていくのです。

聖書を通してイエス様を知って行くことは、イエス様と共に歩み続けていくことです。
イエス様の復活後の出来事であるエマオの旅人のように、イエス様は私たちに御言を説き明し、私たちの心を強め、私たちに力を与えてくださいます。

2021.5.2